物語を読むという行為には、その人の個性がにじみ出る。人によって、その物語から聴こえてくる「声」が異なるのだと思う。だから他者の「読み」を知ると視野が広がる。

 小川公代『ケアの物語』は、われわれがよく知っている物語(『フランケンシュタイン』や『吸血鬼ドラキュラ』などに加えて『進撃の巨人』『虎に翼』など新しい作品も含む)を、ある一つの視点から読んでいく。それは、「声なき者の声に耳を傾ける」ということである。

 大きな声を出せない者、抑圧され黙らされた者、そもそも自分の気持ちを表す言葉をもっていない者。しかしその人たちは沈黙を貫いているわけではなく、わずかな言葉をもらし、抵抗のしぐさを見せたりもする。この一冊を読み進めていくと、われわれ読者が物語の本筋ではないと判断して軽く読みとばした(というよりはそこに十分な注意を向けることができなかった)部分に、さまざまな声が響いていることに気づくのだ。

「親ガチャ」がハズレだったことに絶望している「無敵の人」と、自分をこの世に生み出したヴィクター・フランケンシュタインに醜い容姿を与えられたために恐れられ迫害されている怪物とは、おなじ特徴をもっている。かれらはケアの欠落した場所にいるのだ。大きな声の語る正義の言葉に耳を奪われず、個別の苦しみを語る声に耳を傾けることができたなら、社会も歴史もそこから変わっていく可能性がある。そんな情熱のこもった本だ。

新潮社 週刊新潮

2025年7月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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