早見和真著『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』は、ジャニーズ事務所の二代目社長、藤島ジュリー景子氏と小説家・早見氏との対話を収めた話題の書だ。この本を識者たちはどう読んだか。(全2回記事の1回目)
 第1回目は橘玲氏によるレビューをお届けする。

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 最初に断っておくと、私はジャニーズになんの興味もないし、最近のアイドルは一人も知らない。それにもかかわらずなぜこの書評を依頼されたかというと、『サンデー毎日』(2023年10月29日号)に「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」という文章を寄稿したことがあるからだ。この記事はその後、Yahoo!ニュースに掲載されて多くのコメントが寄せられた。
 私がこの件に関心をもったきっかけは、23年10月2日の記者会見で代読された藤島ジュリー景子氏(以下、ジュリー氏)の手紙だ。それは社会常識のあるちゃんとした大人が、自分の言葉で自らの道徳的責任と義務について語っているものに思えた。それにもかかわらず、テレビ局のワイドショーなどは、ジュリー氏を「悪」として正義の鉄槌を振り下ろすことに狂奔していた。
 私は世の中が善悪二元論でできているとは思っていないので、誰かが「悪」としてバッシングされているときは、そのひとの視点からその状況がどのように見えるかを想像してみることにしている。この思考実験では、ジュリー氏の境遇は相当に理不尽なものに思えた。今回、作家の早見和真氏によるジュリー氏のインタビューを読んで、このときの印象が正しかったことを確認できた。
 そもそも法治国家において、叔父の違法行為の責任を姪がとらなければならない、などという話があるわけがない。ジャニーズ事務所を実質的に支配していた(ジャニーの姉でジュリー氏の母でもある)メリー喜多川については、検事総長経験者らによる再発防止特別チームの検証でも「ジャニー氏の性加害に対して、メリー氏が何らの対策も取らずに放置と隠蔽に終始したことが、被害の拡大を招いた最大の要因である」とされている。だが姪のジュリー氏は、ジャニーの死後にジャニーズ事務所の社長に就任したものの、叔父の性加害に具体的にかかわった記録はない。
 それと同時に、強調しておかなければならないのは、メディアとりわけテレビ局の責任だ。周知のように、ジャニーズ事務所のタレントを各テレビ局がバラエティ番組やスポーツイベントなどに起用することで、二人三脚でアイドルブームをつくりあげてきた。その結果、ジャニーの特異な性癖については「知っていても知らないことにする」のが不文律になっていた。
 テレビ局は、メリーが主導した『週刊文春』の記事への名誉毀損訴訟で、2003年に東京高裁が「セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった」と認定したときも、上告が棄却されて判決が確定したときも、ほとんど報じなかった。本書のインタビューでジュリー氏は、「(このとき)もっとメディアが騒いでくれていたら良かったのにと思ったことはありました。ジャニー自身やメリーも含め、対応できる人間が存命だったので」と語っているが、この指摘は重い。
 メディアが動いたのは23年にBBCのドキュメンタリーが放送され、それを海外メディアが報じたのがきっかけだった。だがこのときは当事者がすでに世を去っており、このままでは自分たちテレビ局の「不作為の罪」ばかりがクローズアップされてしまう。そのため、法的には責任のない(被害者には「法を超えた救済」が行なわれた)ジュリー氏を「悪」の側に追いやることで、「共犯者」から「善(正義)」の側にこっそりすり替わろうとしたのだろう。
 NHKの元理事やフジテレビの女性プロデューサーがジャニーズ事務所の顧問・取締役に就任していたことからわかるように、すべてのテレビ局がこの「性犯罪者」ときわめて密接な関係にあった。各テレビ局にはジャニーズ担当の社員(バラエティ番組のプロデューサーや役員)がおり、接待したりされたりする関係だったことは、業界関係者なら誰でも知っている。だからこそその恥部を隠蔽するために、ジュリー氏を「悪魔化」し、バッシングしなければならなかったのだろう。
 今年になってフジテレビで、元ジャニーズの大物タレントと自社の女性社員との性的トラブルを社長・役員が隠蔽したことが明るみに出た。スポンサーが次々とCM出稿を停止し、10時間を超える記者会見を行なう異例の事態に追い込まれたが、ジャニーズ問題へのテレビ局の対応を見ていればこれはべつに驚くようなことではない。マスメディアにとってもっとも大事なのは自分たちの既得権を守ることで、あとは視聴者が喜ぶ面白おかしい番組を適当につくっていればいいというのが本音なのだろう。
 なお早見氏は本書で、「事実関係を検証しない」とあらかじめ断ったうえで、ジュリー氏との一問一答を丁寧に書き起こしている。これによって、外からはどれほど華やかで異常な世界に見えたとしても、渦中の人間にとってはごくふつうの日常だということがよくわかった。
 だがこの手法では、ジュリー氏が事実と異なることを語っていた場合、本人に都合のいい話を鵜呑みにしたと批判されることになりかねない。私なら怖くてとうていこのようなことはできないが、それに挑んだ著者の勇気に敬意を表したい。

新潮社

2025年7月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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