老歌人の現実と楽しみ

 日本人の人生は長い。百歳以上の人口が2024年に9万5千人を超え、男女とも平均寿命は80歳を越えているので、たとえば65歳で定年だとしても、20年前後は生きることになる。

 本書は、そんな長い人生後半に遭遇するさまざまな局面を、短歌がどのように切り取ってきたのか、3部に分けて論じている。どこから読んでもよい、自由なつくりがうれしい。

 退職、年金、離婚、再婚、おひとり様などを扱う第一部「人生後半へ」では、歌ばかりでなくラブレターを紹介しながら、川田順や斎藤茂吉など「老」歌人の赤裸々な恋愛模様を綴(つづ)る。秘めた恋人に宛てて「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか」と書く茂吉。まっすぐな気持ちがもはや尊い。

 第二部「老いの先へ」は、介護、ケアハウス、病、死別など重い主題を扱う。母を2年前に亡くしたからか、グッとくる章だった。たいせつな人の死を悲しんでいるのに、日常生活は無情に続き、ふとした瞬間にその不在に気づく。

 水引草の咲く庭に干すシャツやタオル一つだに母のものなく眩し(村上和子『しろがね』)

 あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない(永田和宏『夏・二〇一〇』)

 著者の妻で歌人の河野裕子はガンで逝去した。死に向かいつつ、互いに交わす歌がこころに響く。しかし著者は、余生を前向きに生きる姿勢を忘れない。食や酒、孫やペットへの愛を謳(うた)う第三部「たのしみへ」で和ませてくれる。

 かゆいとこありまひぇんか、といひながら猫の頭を撫でてをりたり(小池光『時のめぐりに』)

 もふもふな存在にメロメロな老歌人がいる。(朝日新聞出版、1980円)

読売新聞

2025年5月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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