〓橋凜花さん

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琉球新報朝刊

 「やっぱりこっちの方が私には息がしやすい」。誰しも成長の過程で、さまざまな人の生き方に接し、自らの進路に迷うのは常。ところが幼少の頃に体感した習い事が、先々の道に光明をともすこともある。ピアノを始めたのは振り返れば3歳の頃だった。神ならぬ、親の采配とでも言おうか。迷いも吹っ切れ“本来の私”に気づいて、今は音楽の専門領域へ進む。
 生まれは東京都だった。5歳の時に父の仕事の関係で沖縄に戻ることになり、家族で那覇市へ移り住んだ。幼い頃とはいえ、おぼろげに覚えているのは「ゆったりとした時の流れ」。もともと人見知りな性格だったが、時の流れとあいまって気さくに会話を楽しむ沖縄の「まったり」とした気質がなじんだ。
 カトリック小学校へ学年の中途まで通い、公立小学校を経て沖縄尚学高校・付属中学校へ。「バイリンガルクラスというのがあって、入って驚いたのは半分以上の生徒がインターナショナルスクールなどから来ていた。当然だけど、英語も堪能。教室のグローバル感がすごかった」
 高校生になると頭を悩ましたのが進学先。当初は医学部を含めた理系を志すが、どうもしっくりこない。「それでも理系科目に一生懸命しがみついていた。でもやっぱりどうにもならない。ピアノをやってる時はどんなに苦しくても、やめたいとは思わないのに」。そこで高校2年の時、音楽にかけてみた。
 大学へは無事に進んだものの、就活も考えると音楽以外への興味が再び頭をもたげた。さまざまに挑戦し、悩んだ末に進む道が見えた。「私の生活にはずっとピアノがそばにあった。時間はかかったけど、私には音楽しかない。そう思うに至った」と語る。音楽学部4年の学びを終えて、今年4月からは大学院生になった。
 先月、練馬区にある大学近くで開催されたアート展に出向いた。オーストラリア出身の社会運動家キャサリーン・ジェーン・フィッシャーさんの数々の作品がギャラリーにはずらり。
 アートを通して伝える日米地位協定など政治上の理不尽に胸が痛み、無関心ではいられなくなった。そして理不尽な被害を受けた人がどんな思いを作品に込めたのか。その表現に関心を抱いた。芸術で身を立てるのも「狭き門」と言う。「それでも音楽を通して何かを人に伝えられるようなことができればと思う」。音楽を通して尽きぬ表現のあり方を探究し続けている。(斎藤学)
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 たかはし・りんか 2003年2月に東京都で生まれる。沖縄県出身の父と5歳の時に那覇市へ。沖縄尚学高付属中学、同高校を経て武蔵野音楽大学に入学。現在は同大の大学院生。

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