#歴史 #日本史 #解説
※概要
前回の江戸の都市計画の際に、江戸の地名についての御要望コメントが多かったので、リクエストにお答えした動画です。銀座や八丁堀、蔵前、馬喰町、駿河台などについて紹介しています。
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」関連動画です。
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35 Comments
東京にはたくさんの「富士見坂」があるようです。
江戸時代にはそこから富士山が見えたのでしょう。
私は若い頃に短期間仕事の関係で都内に住んでいたのですが、その頃には本当に富士山が見える富士見坂は谷中の富士見坂、日暮里駅から御殿坂を西に進んで諏訪神社に向かう諏訪台通りを北に進んだ途中、たしか六阿弥陀道に下る坂道だけになってました。
そして私の滞在中に残念ながら坂から真っ直ぐ富士山方向に高層ビルかマンションが建設されて見えなくなりました。
あの頃、のちに作家になった森まゆみさんが妹さんやお友達と「地域雑誌谷中・根津・千駄木」を発行され、地域のローカルな歴史を発掘される活動をされていました。
この雑誌のニックネームがまさに「谷根千」で、この呼び名の起源。
また地域起こしのミニコミ誌ブームの起点になった雑誌。
そして森さんや読者が中心になって地域の歴史的建造物の保存運動がここから始まり、辰野金吾設計の東京駅などの近代化遺産の建物が多く保存されました。
当時雑誌の谷根千や森さんの著書「谷中スケッチブック」「不思議の町根津」などを片手に江戸の残り香を探して歩き回ったのが懐かしいです。
地名に歴史あり。日本は自然災害が多いので、災害の痕跡を示す地名が多数あります。
続編希望!関東人からすると、京・大坂・奈良も聞きたい!
現代の地図にトレーシングペーパーに印刷された古地図から起こした地図を重ねることができる地図帳があります。
そういう地図をながめたり、古くから残る地名を見ると、それだけでご飯が進みます。
奈良県の“平群”とか“當麻”などの和風っぽくない地名もいいし、“神楽坂”とか“御徒町”などの江戸っぽい地名もわくわくします。
“希望が丘”とか“夢が丘”といった地名より、よほど夢があります。
といっても、古戦場の落ち武者に関連する地名は、そこに住む方々からしたら「地名を変えてくれ」なんでしょうね。
大阪の地名も変わったのが多いのでやってほしいです😊喜連瓜破とか?
最後に出てた佃ですが、大阪と尼崎の市境にある西淀川区にある中洲のところですね。
あと、阪神高速のランプ名で「鉄砲」ってありますね。アレも堺の鉄砲衆が住んでたのかも。
「きりゅう」さんなんですね。
「きゅうり」さんかとおもってた(^^;)
スイマセン、失礼しました。
蔵前は国技館がありましたね。
都民なので地名言われたら、あああそこかあ〜場所が思い浮かんだのでよかったです。
郊外でも地名が残っているのなら、ぜひ次回もやって欲しいです。
いつも楽しく見ています。タイに住んでいて、「どうする家康」は全然見ていなかったのですが、最終回チャンネル配信で盛り上がっていたのを見て、どうしても「どうする家康」が見たくなり、VPNを開通させました。これから、かしましチャンネルを見ながら、「どうする家康」を楽しみます。
ところで、江戸時代は、同じ職種を同じところに住まわせたということで、日本にもそんな時代があったのか、と驚きました。カンボジア、タイと住んできて、東南アジアあるあるで、同じお店が同じ通りに何軒もある状況を見てきました。同じ職種が同じ通りに並んでいたんじゃ、商売にならないじゃないかと、ずーっと思ってきたのですが、まさか日本でもそんな時代があるとは、思いもしませんでした。
東南アジアは、日本の数十年前の風景だなと思うことが多いのですが、江戸時代は発注以外で同じ職種を同じところに住まわせる理由ってあるんですか!?
歴史とは全然関係がない話ですが、東南アジアは、なぜ同じ職種が同じとおりに並んでいるのかの解決の糸口になるかと思い、コメントしました。何かご存じでしたら、教えてください。
この件が解決しても、私の気分が晴れるだけですので、このチャンネルには関係がない質問だと思われた場合は、どうぞ気になさらずに。
皆様、お体にお気をつけて、配信継続してください。
渋谷にも猿楽町があるけど、これは舞踊の猿楽とは関係ないらしい。
そして職業ではなく役職が同じ人たちも集まって住んでましたね。御徒町とか百人町とか。
銀座にはおおきなユニクロがありますが、
すぐ隣にはブランドショップが立ち並ぶ、
さすが銀座って感じですよ
こんにちは、いつも楽しく拝見しています。
今年の大河は家康サンと言うことで戦国から江戸への時代の転換期でしたが、江戸時代って小氷河期と聞いたことがあります。その頃の江戸の民は寒かったんだろうなと想像できますが、来年の「光る君へ」は平安時代ですが、平安時代の気候はどうだったのかなって思います。寒かったらどんな防寒をして冬を過ごしていたのかとか、とても気になります。ご存知なら教えて下さい。
天下茶屋!仕事で利用していたので馴染みのある地名が出てきて嬉しかったです!南海電車の天下茶屋駅の一駅隣りに萩之茶屋駅があるのですが、これは秀吉とは無関係な茶屋なんでしょうか?
映画「 ゴジラー1.0 」
1947年 ゴジラ は東京湾から上陸!品川を経て現れた ゴジラ によって
壊滅したのであります。
京都市伏見区には銀座町・両替町など古い町名が残ってます。
東京だと坂の名前が楽しいですよね
私の育った田舎町にも銀座通り商店街ありました🤣🤣今はシャッター街です😅昔は賑わってたんだけどなぁ😢
ところで、札差と両替商って違うのですか?私は換金したり、お金貸したりするから両替商というのかと思ってましたが…札差は今で言う証券会社かと思ってました。
よかったら教えてください🙏
くうさんの記憶www笑わせていただきました。
当方仙台市在住ですが、こちらも江戸時代からの町名がわりと残っているので、調べてみると面白いです。
個人的には伊達政宗の隠居用に作られた若林城(現在は刑務所)があったあたりを古城(ふるじろ)と読んでいるのが好きです。平城だったとはいえ一国一城令を無視というか騙して作ったそうなw
今の東京の地名って赤や白や青など、色のついた地名多いイメージあります。
なんか理由ってあるんでしょうか?
私も食べ物でその時どこ行ったとかを記憶しているので、くーさんに親近感です❤
天下は、秀吉さん当時の発音が「てんが」でした。「天井天下唯我独尊」は今も「てんが」ですねー
駿河台。駿河衆の住んでたところなんですね。私にとっては予備校のある場所としか認識してませんでした。
八丁堀の旦那といえば黄八丈の着流しなわけですが。
当時の流行で高価な喜八丈を着ルことができるほどまいないなどで裕福だった象徴だと聞いたことがあります。
実際どうだったのでしょうか?
また、黄八丈が同心の記号的に用いるようになったのは、なにか広まったきっかけとかあるのでしょうか?
質問です。
家康さんが湿地だった江戸を開拓した訳ですが、人はどこから湧いて出たんですか?湿地では誰も住んでなかったと思うんです。
三河から連れて来たんですか?
最終回の解説はないのでしょうか?😅
機能としての銀座は元々秀吉の頃からあり、
京都伏見が発祥で関ケ原の戦い以降に家康によって「銀座」としてその機能が引き継がれて伏見に残り、
その後京都市中京区→駿府そして江戸へと移されたという話です。
職人毎に住み別れて町名となった物としては、マイナーですが豊臣秀次が治めた滋賀県近江八幡市の町名もそうですね。
地名シリーズ、希望します!!
「どうする・・・」が終わって、どうする???と思っていて、なぜか寂しかったので、ぜひこれからも地名シリーズとか、三国志シリーズとか、いろいろ待ってます!
今年一年、楽しいお三人さんのお話、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
私は江戸の古地図(江戸東京博物館のお土産..)を見ながら 鬼平犯科帳を読むのが好きだな…😅😅😅
静岡に行った時 葵区 駿河区 から始まって 呉服町 金座町 城内町 銭座町・・・と家康さん由来っぽい町名が沢山ありました
静岡バージョンも聞きたいなぁと思いました
オープニングの字幕で、ラットちゃんのトコに「うん この前」ってあって、久しぶりにコノ文言聞いて笑いました😂さすがです👍
静岡県民ですが、静岡の地名も紹介して頂いて嬉しいです!
台場とか新木場とかも意味がありそう。
「天下茶屋」、あの「おジャ魔女どれみ」の妹尾あいこちゃんの出身地…という設定です。
担当声優の松岡由貴さんも、その近辺の出身というのが抜擢の決め手になったとか。在阪の朝日放送の番組ですから、ネイティブの大阪弁、それも設定の地域の言葉の微細な所が求められたとか。視聴者のみならず、まず局の重役陣が求めたのがそこ。
現在でも徳川家の御当主に白魚の献上の儀式は続いてるようですよ^_^
名古屋にも伝馬町がありますが「てんまちょう」って読むので違うの知りませんでした