徳川家康の天下取りをその頭脳で支え
家康からは「友」とまで言われた本多正信。

彼は江戸幕府が開くと
平常時の幕府最高職である老中として幕政を支え
その息子・正純も老中として幕府の中枢で活躍しました。

しかし、正純はある事件をきっかけに幕府を追われ、
天国から地獄に追いやられます…。

今回は本多正信・正純親子の人生と
その後の本多家についてご紹介していきます。

※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます
※使用している背景映像はフリー画像・映像素材・ライセンス取得済みの素材を使用しています
※BGM提供https://bgm.taiyakiojisan.com/

3 Comments

  1. 正純、家康や後ろ盾の正信の前ではテキパキして家康、父ちゃんの正信がいなくなったから、威張り散らすのはよくありませんよ。秀忠が政治家をしていくんだから正純は秀忠の補佐をして行くべきです。石田三成も政をしていたから清正達が反発して三成は失脚して関ヶ原で敗れて斬首されたわけですよ。正純は斬首されなかっただけでよかったですが、正純も秀忠から信頼されていたら正純は改易されなかったかもしれませんね。

  2. 立葵が出てて嬉しい。うちは分家だから左離れ。
    本多(=本田)は松平とは同族で、賀茂神社の神職やってた。
    だから、同じ葵の紋使ってる。
    松平も元は立葵使ってたけど三つ葉葵に変えた。

  3. 宇都宮の吊り天井  
    事実かどうかは不明だが有名な話でした。

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