野心か、耄碌か、豊臣秀吉の朝鮮出兵は、なぜ行われたのか?

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戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書)
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永楽帝――華夷秩序の完成 (講談社学術文庫)
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康

35 Comments

  1. 中華思想は少なくとも古代においては客観的な裏付けがありました。昔、「四大文明」などと教えられていましたが、中国はそのひとつに数えられるぐらいの先進地域だったのです。明らかに更新であることが明らかになったのは清の時代にアヘン戦争でぼろ負けになった時で、たとえば帆船同士を比べても西洋の横帆帆船より高性能を誇っていました。軍船で中国が後れを取ったのは蒸気機関の発明以降です。

    朝貢の量は「天子の徳」のバロメータのひとつになったかもしれませんが、たいてい「天命が革まる(革命の語源)」直接のきっかけになったのは農民反乱とそれに乗っかった地方勢力です。実力で政権交代が行われたのを体よく「天命」と言っていただけ。

    朝貢は、やってきた使者に持たせる「お土産」の方が莫大でした。つまり中華政権にとっては「朝貢」は赤字貿易だったのです。周辺国にとって中華政権から認めてもらえるという名目だけでなく、実利があったから行われていたのです。

  2. 無理のし過ぎは良くないですよ。ご自愛ください。
    あべのしんさんもいらっしゃるので、いろいろ試してみましょうよ。生意気ですみませんが。

  3. 信長や秀吉に限らず、これまでの世界史に登場する世界各国の覇者のほとんどが国外進出をしていってるので、朝鮮出兵はなるべくしてなったのかなとも思ってます

  4. 長く続いた戦国時代の自転車操業的拡大活動の当然の帰結とも言えそうですけどね
    特に戦が無くなって職を失う武士の問題は大坂の陣における豊臣家滅亡の一因でもあり
    かなり後の綱吉の時代まで影響する問題ですし

  5. なかなか面白かったです。
    そもそも秀吉が耄碌したとかいう俗説?を広めた人達はなんなのですかね?
    歴史を学ぶ上での障害でしか無い人達と思います。
    対等外交の意思は遣隋使から始まり、
    日本国としての立ち回りは白村江の戦い、この朝鮮出兵、日清戦争、日露戦争、満州事変と同じようなテーマで続いてきましたね。
    日本は独立国として維持し続けていくためにはどう進むべきなのか?
    それが古来より現代に至るまでの立ち回りの全てと思います。

  6. 武士道さん、喉の調子が悪そうですね…😢お忙しいと思いますが、体が資本ですし、どうぞご自愛下さいませ。

  7. 声枯れしていますがお体大丈夫ですか?秀吉の「朝鮮出兵」は左翼の歴史史観では「無謀な戦争」ということになっていますが、当時の東アジアの情勢を鑑みると、既にフィリピンがスペインの植民地になっており、いつチャイナも植民地になるかわからない状態だったので、秀吉の行った「唐入り」は無謀な戦争ではないと思います。

  8. 国内統一の後に海外拡張というのは当然の帰結であったと思いますが、中国を服属させるのに朝鮮に道案内させる、というのが無理筋なので国際感覚や地理感が欠如していたように感じます。
    中国を征服できた異民族は常に中華王朝と戦争、外交を繰り返してきた民族なので…

  9. 本当に体を大切にしてください😢 動画見られなくなるのは寂しいので

  10. 体調、大丈夫ですか?
    声がかすれているような気がします。無理はされないでくださいね。

    大きな力を持った権力者は他の国を征服してさらに自分の力を強くしようとする。天命思想が日本にも影響を与えている気がします。

  11. 秀吉様は大名に所領を与えるために朝鮮に出兵。
    家康様は大名の力を減らし民に富を再分配しました。

  12. 体調治ったらで結構ですので伊達宗城の人物解説動画お願いします!

  13. この構想が実現しても以下の内容で破滅していたと考える
    1.補給線の問題
    これは旧帝国陸軍と同様 現地徴用=恨みを買う

    2.多民族国家に対して、武力で制服はまずむり
    ある意味歴史が証明している

    3.じゃー国連みたいなもの作れば?
    これもむり、俺がNO1!!!と言いまくってる国同士うまくいくはずがない
    プライド高すぎるし

    どちらにしても沼に引き込まれて囲まれて壊滅・・・の未来しか見えない・・

    まーどっちにしろ破綻で、もっと酷いことになると思われる。iFは好きだが・・・・この戦略はまずないな・・・

  14. 当時の明は万暦帝の時代
    宦官によって内部は腐りまくって滅亡寸前
    うまくやれば中華皇帝になったかもな
    秀吉の朝鮮出兵によって、明の弱体化が加速して、満州族によって滅ぼされてる

  15. 「 秀吉は日本人の奴隷売買から守った!」「秀吉はヨーロッパの侵略から日本を守った!」
    基本的にこれはウソ。
    この話を広めたのは明治期以降の海外の日本侵略を正当化するための大日本帝国の思惑だよ。
    この話は作り話で、実際の状況的にいうと秀吉が九州攻めの際に寺社勢力の協力を得るためにのポーズで名目上の話なんや。
    当時九州ではキリスト教の布教が勢いよく進んでいた。それに危機感をもった寺社勢力が秀吉に働きかけた結果、秀吉からこの文言を引き出した。
    もちろんただのポーズなので、南蛮貿易は縮小せず、また日本人が日本人を西洋人に売っていたので西洋人はそれを買った。また、ヨーロッパのキリスト教を学ぶためにヨーロッパへ渡った日本人もいるし、タイやカンボジアでは日本人が傭兵として活躍した。また伊達政宗なんかだと、スペインと軍事同盟を結ぶために使節団を送った。
    キリスト教を本格的に停止させたのは江戸幕府。

  16. 足利義満のころからの朝貢による日明貿易から、広い視野から朝鮮出兵について考えられた動画でした
    天竺(インド)まで出兵するつもりだったので、大帝国を作るつもりだったのかもしれません

  17. 旧主の織田家を簒奪してた事も、秀吉に「大名たちからの反感を抑え畏怖を勝ち取るため、より上の実績を残さねばならない」という念を強くさせてたのかもしれませんね。国内統一までなら、信長の段階ですでにかなり現実的に射程圏内に捉えていた事業でしたし。

  18. 泰平になると武士が仕事を失うというのは当時の考え方としては無理のないこと。後世に生きる我々は武士が官僚となって生き残った江戸時代を知ってはいますけれども。

    戦い、功名を挙げて新たな領地を勝ち取ることをずっと続けてきた人たちにとっては、決まった領地にずっと暮らし、俸禄をもらうという人生が想像できなかったのでしょう。

  19. 海外進出に乗り出した時期でいえば、日本は後発で、秀吉が天下とった時にはすでに世界はトルデシリャス条約によってポルトガルとスペインで半分ずつにされていた。そこにオランダ、イギリス、フランスが食い込んで、明国も貿易植民地状態だったんじゃないのだろうか?それがいよいよ日本にも、宣教師によって長崎の一部を支配され、日本人を奴隷として売り捌かれるなど実害が出始めたので南ばん人の排除に乗り出したのではないだろうか。信長ならそのぐらいのことは知っていそう。

    西洋中心の現在の世界では公にされないされないだろうけど。

  20. 取るか取られるかの価値観を日輪の子というオブラートに包んでいる。
    それは誰しもやっている事。
    時分の存在意義に忠実に生きたのが秀吉。家康は晩年天下をとったからだし、そんな冒険をすることの危うさとメリットは比較しただろう。
    引き継いだ幕閣も危機管理のシュミレーションはやっていただろう。
    今の日本は開国の中でどう動くのか。歴史を学ぶ意義は大きい。

  21. そもそも当時のスペインとか日本の軍事力を利用して明朝への軍事侵攻の足掛かりにしようと画策してたと思うが
    だからイエズス会の記録と言うのも、そういう事を誘導・目的意識の有するとか、それを本国への報告の裏付けにしようと言う意図があるような気がする。
    実際のところ、信長が明へ侵攻をもくろむかと言えば、最近の研究から明らかになっている、保守的な信長像からは離れていると感じる。
    大陸には大陸の王権があり、朝鮮半島は日本ではなく、大陸の属国という認識の方が強かっただろう。
    秩序の回復を考えていた信長さんにとっては、大陸侵攻は秩序の破壊、新秩序構築になるわけだが、それを考えるより先に
    家康同様に、秩序回復し、足利幕府が機能不全になった日本をどの様に安定統治していくのか?
    そっちの方が重要課題だったはずで

    家康は、豊臣家が朝鮮出兵してる最中に、家臣団の価値観・為政者として在り様を変える試みを行っている。これは江戸幕府の礎となっている。
    事実、豊臣政権は、関白秀次を死に至らしめ、安定統治機構の構築に失敗している。

  22. 歴史上で理解できないことがあるとその人物のIQを下げて単純化しがちですけど複雑な理由があって当然ですよね

  23. 秀吉は常に海外勢力を侮っていけないという危機感もあったのでしょうね。
    実際に九州は伴天連勢力にほぼ支配されかけていて農民達が海外に奴隷として密かに売り飛ばされていた話も…ちなみに秀吉は私財を投じても奴隷にされた人達を助ける為、尽力したのだという。
    殺られる前にやる、列強国の植民地にされる前に領土を拡大し力を蓄えなければと躍起になった成れの果てが朝鮮出兵に繋がったのかもしれない。

  24. 小和田さんや磯田さんが言っていたけど、当時戦国大名は領地をくれる人について行くって話は、ここでは詳細は省くけどかなりの戦国好きじゃないとその理論が理解されないよな。
    あと戦が続いた時代って事もあって、そのため多くの家臣を戦国大名が抱えていたが、戦が無くなり大名が過剰人員を抱える事になった事情や、農民の次男三男が戦によって生計をたてていたりなど、当時の時代背景もあったし。

    世界史とか見てると内乱や国内統一を果たすと、今までに使ったきたエネルギー(軍事経済や食糧問題)を国内だけで消費しきれなくなり、国外に向けることは珍しくないという見方もあるよね。(アレクサンダーや永楽帝、ナポレオンやヒトラーなど)
    加来耕三先生もラジオで、国内統一が秀吉ではなく、家康が先にしてたとしても同じ事をしていた、と発言していたのも興味深いです。

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