長篠・設楽原の戦いをわかりやすく解説【織田信長&徳川家康VS武田勝頼/大岡弥四郎事件/鳥居強右衛門/鉄砲の真実/どうする家康】

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戦国時代

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10 Comments

  1. 史実に中立な解説で、イデオロギーが入ってないので、大変好感でき、評価してます、ガンバってくださいね。

  2. ありがとうございました。長篠の戦いは、これまでの伝説的な鉄砲三段撃ちなどと違い、複雑な説明が必要なのですね。解説のご苦労、大変だと思います。次回の勝頼動画を楽しみにしております。

  3. 動画投稿、首を長くして待ってました。
    わかりやすい言葉で解説していただけるので毎回楽しみです。長編なのもありがたいです。大変なご苦労があるとおもいますがこれからも頑張ってください。

  4. 影武者を思い出しました。どちらを応援するでも無いけど、切ない…😢

  5. 鳥居強右衛門のくだりは…
    様々な小説で描かれ、
    戦国武将の鑑とされるような
    切なく勇壮な話しだよね、
    BGM次第では泣いちゃうな
    😭😭😭
    俺なら

    「来ない、来ない、
    来るもんかね〜ヤッホ~!、」
    だな😅

  6. 今回も分かりやすい解説動画ありがとうございます!今後アップされる動画が早くも楽しみです!

  7. 鳥居強右衛門の話ですが、強右衛門の忠義の心に心を打たれた勝頼は強右衛門を助命しようとしたが、強右衛門が助命を断ったとか、勝頼の叔父の武田信廉の家臣が勝頼の助命せよという命令が来る前に既に強右衛門を処刑していたとかいう話もあるらしいです。

    決戦についてですが、本当に重臣達が反対したなら、勝頼が強行なんてできないんじゃないか、むしろ山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達が積極的に決戦を主張したんじゃないかという話もあるようです。
    その理由は当主の意見を通しやすい環境だった織田家などとは違い、武田家の政治体制は豪族達の連合体。 そんな政治体制の中、正式な官位を持っていなかったとされる勝頼が決戦を強行なんてできそうにないでしょうし、武田家家臣達は名門意識が強かったらしいから、そんな彼らが氏素性が怪しい織田・徳川の城一つ落とせずにのこのこと撤退する事を主張するのかという疑問があるからです。

    岡崎城乗っ取り、吉田城攻めが失敗しての長篠城攻めで、何の戦果も無しに撤退したら、武田は織田・徳川の後詰めが来ただけで戦わずに尻尾を巻いて逃げたと信長や家康が喧伝し、三河や遠江の国衆達の離反が更に加速するだけの結果になったと思います。
    甲斐や信濃の国衆達も、信玄の時代からの重税や金山の枯渇などで困窮する中、わざわざ遠征したのに何の戦果も無しに撤退する事になったら恩賞も貰えないし、城下町や村で米や銭を略奪したり、城下町や村で攫った人や討ち取った兵の刀や鎧兜を売り払って臨時収入を得る事ができない。
    わざわざ遠征したのに何の恩賞も無しか、戦っていれば勝って略奪できたのにと不満を持ち、何をしでかすか分からないと思います。

    仮に撤退して国衆達の離反が加速しなかったとしても、武田と織田の国力差は開く一方。 仕切り直した時には今以上の兵力で織田は徳川の援軍に来るかもしれない。
    それどころか、織田が畿内を完全に平定したら、織田の方から武田領に侵攻してくるかもしれない。 そうなると徳川も呼応するからもう打つ手が無くなる。

    伊勢長島の一向一揆が鎮圧され、連携できなくなったとはいえ、まだ織田が本願寺勢力と戦っていて、武田相手に全軍を向ける状況ではない今のうちに痛手を与えようと勝頼は判断したのかは分かりませんけど、決戦を選んだのは間違ってはいなかったと私は思います。

  8. とても 詳しくの 説明して頂き有難う御座いました なぜ四男なのに
    大将になったか 分かり 勉強に なりました 有難う御座いました

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