人類の長寿化を支えてきた従来の医療システムは転換点を迎えている。急性疾患ではなく慢性疾患への対策が中心となり、病気以前の「未病」の状態で介入する重要性が高まっていることや、スマートフォンやウェアラブルデバイスにより歩数、心拍数、睡眠、血糖値などの健康データを常時トラッキングし、日常的に蓄積することが可能になったことに加え、ゲノム解析技術により将来かかりやすい病気のリスクを予測し、予防することも可能になりつつある。
医療システムは、病気になってから治療する事後対応型から、健康な状態を維持し、病気を未然に防ぐ予防型へ移行しつつある。また、わたしたちの健康に対する価値観は単に病気ではないことを指すのではなく、身体的・精神的・社会的に満たされた状態、すなわちウェルビーイングを目指すかたちに拡がってきている。このような予測的かつ個別化された予防型の医療モデルの実現にとって、健康データの広範かつ多角的な利活用を可能にする枠組みが鍵となる。
これに対するひとつの制度的な応答が、EUが2025年3月に発効したEHDS(European Health Data Space)規則だ。
EHDSは、GDPR(一般データ保護規則)を基礎とし、その特別法として自身の健康データへのアクセスを確保しつつ、研究や製品・サービス開発のためのデータ利活用を両立する枠組みである。このEHDS規則において中核となっている概念が「データ利他主義(Data Altruism)」だ。
データ利他主義とは、個人や企業が、医療、環境、モビリティなどの分野において、研究の進展や優れた 製品・サービスの開発につなげる等の一般利益に資する目的で、自発的かつ無償でデータ提供することを指す。
データ利他主義は、EUデータガバナンス法(DGA、22年発効)で規定されており、GDPRによる同意至上主義の帰結としてデータ共有が進みづらい現状を打開し、個人や企業が自発的にデータ共有を行なうための概念であり、これを具体化した第一弾がEHDSというわけだ。
ところで、COVID-19が示したように、急伸した人類の寿命は気候変動を含む地球環境破壊によって縮小するリスクが指摘されている。このように地球環境の変化と人間の健康を結びつける概念 が「プラネタリーヘルス」だ。
プラネタリーヘルスとは、人為的な地球環境の変化が健康に及ぼす影響を理解・定量化し、人類が依存している自然システムが現在も将来も繁栄できるような解決策を開発する科学分野である。
生物学者エドワード・O・ウィルソンは、人が本能的に植物、森、水辺など自然とのつながりを求める「バイオフィリア」を提唱したが、自然がわたしたちのウェルビーイングを向上させるとのエビデンスが近年数多く発見されている。すでに先進的な自治体では、自然環境と住民のウェルビーイングを一体的に取り組む視点を制度化し始めている。
例えば、都市緑化研究者セシル・コナイネダイクが提唱する「3-30-300ルール」(自宅から3本の木が見え、30%が樹冠に覆われている地域に住み、公園や緑地までのアクセスが300m以内であること)は、自然へのアクセスが住民のウェルビーイングを向上させ、同時にヒートアイランド現象を緩和し、生物多様性も守るというかたちで、バルセロナの緑化政策に応用されている。
わたしたちの身体は地球環境という巨大なシステムのノード(端末)あるいは異常を検知するセンサーであり、ウェアラブルデバイスから得られる個人の健康データは、地球環境の健康状態を構 成する重要なデータポイントのひとつとなる。今後、個人の健康データは自身の医療や公衆衛生に生かされることはもちろん、ある地域の住民のストレス値が上昇していれば緑地が不足している のかもしれないといった、健康データに基づいた都市・環境政策が増えていくはずだ。


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