がんが心臓に発生することは非常にまれだ。国立がん研究センターによると、全身に発生する腫瘍のうち、心臓から発生する頻度は0.1%以下だという。
同じように、他の組織で発生したがんが心臓に転移することはあるものの、心臓内では腫瘍が大きく成長しにくいことも知られている。だが、心臓にがんができにくい理由は未解明だった。
こうしたなか、イタリアのトリエステ大学と国際遺伝子工学・バイオテクノロジーセンター(ICGEB)を中心とする国際研究チームは、ある仮説を立てた。人間の心臓の細胞(心筋細胞)は生まれて間もなく増殖(細胞分裂)する能力を失い、ほぼ再生できなくなる。この特性と「がん細胞が増殖できない理由」に共通点があるのではないか、と考えたのだ。
そこで研究チームが着目したのが、心臓が血液を全身に絶え間なく送り出すために生み出している「機械的な負荷」である。すなわち、鼓動による収縮や圧力、変形などの力だ。
「拍動」がもたらす防御機能
心臓に機械的な負荷があることで、がん細胞が増殖できない──。この仮説を検証すべく研究チームは、まずマウスの心臓を外科手術によって別のマウスの頸部に移植し、血管(頸動脈・頸静脈)とつなぎ合わせた。「心臓が血液を送り出す際の負荷はかからないが、心臓自体への血液の供給は保たれている」環境の心臓をつくり出すためだ。
機械的な負荷がかからなくなった心臓に肺がん細胞を注入すると、自然状態の心臓に注入したときと比べて、がん細胞の増殖は約2倍となった。このことから、機械的な負荷がかからない状態が細胞の増殖を助けている可能性が示唆されたのである。
とはいえ、心臓を移植するという大がかりな実験では、手術に伴う負担や免疫状態・代謝状態の変化など、機械的な負荷以外の要因が影響している可能性も残る。そこで研究チームは、よりシンプルなモデルとしてラットの心筋細胞と線維芽細胞を組み合わせ、実際の心臓のように立体的に拍動する「人工心筋組織」モデルを作製した。
このモデルでは、金属製の支持具をシリコン製の支柱に対して回転させることで、心筋にかかる機械的な負荷を制御できる。また、培養液中のカルシウム濃度を調節することで心筋の拍動の有無を制御した。
研究チームは、この人工心筋組織モデルをがん細胞とともに培養し、心筋の拍動の有無とがん細胞の増殖の関係を検討した。その結果、体内の実験と同様に心筋を静止状態にするとがん細胞が増殖し、通常通り拍動させると増殖が阻害された。やはり心筋の拍動による機械的な負荷が、がん細胞の増殖を抑制していたのだ。
「わたしたちの研究結果は、心臓の拍動が単なる生理機能でなく、腫瘍の増殖を自然に抑制する働きをもつ可能性を示しています」と、研究を率いたひとりであるトリエステ大学分子生物学教授でICGEB心血管生物学研究室長のセレナ・ザッキーニャは説明する。「この結果は、心臓の環境ががん細胞にとって望ましくないことが免疫学的または代謝的な理由だけでなく、心臓が継続して機械的刺激を与えることが物理的にがん細胞の増殖を制限するからでもあることを示唆しています」
機械的な負荷を感知する“センサー”の存在
次に研究チームは、実際に心臓に転移したがん細胞の性質を分子レベルで検討した。性質の異なる3種類のがん(肺がん、大腸がん、悪性黒色腫)を患った患者の組織標本について、「心臓に転移したがん細胞」と「心臓以外の場所(転移する前の元々の場所、もしくは他の臓器への転移)にいるがん細胞」を比較したのである。


WACOCA: People, Life, Style.