
タモリが偉大であることと、タモリを批判することは両立してはいけないのかーー。興味深い論点を与えてくれる出来事がありました。
それはYouTuberのヒカルが4月20日に公開した動画での一件。カジサックこと「キングコング」の梶原雄太、実業家の桑田龍征を交えたトークで、「ずっと昔から思ってたんですけど、タモリさんって全然面白くない」と語り、それに梶原も「俺もタモリさんにまったくハマらなかった人」と同調するシーンがあったのです。
「爆発的な爆笑を生むタイプじゃない」からタモリは面白くないと語るヒカル。それを受けて梶原も、人それぞれ好みはあると断りつつ、「正直、そんなですよ」と、タモリへの微妙な感情をにじませていました。
◆タモリ批判への強い反発に感じた危うさ
これらの発言にネット上では激しい批判が相次ぎました。豊かな教養と博識で長年視聴者を楽しませてきたレジェンドにあまりにも失礼なのではないか、というのが大方の意見です。
“こういう人らと感覚が違うとわかっただけでありがたい”とか、“インテリのタモリは、ヒカルとかいう底の浅いYouTuberが批判すること自体がはばかれる(筆者註・原文ママ)存在である”と、さんざんな言われよう。
梶原に対しても、“『笑っていいとも!』出演時の恩を忘れたのか!”と、厳しい指摘がされていました。
いずれも予想できた反応です。
なぜなら、タモリといえば、いまや誰もが大好き。何か発言をすれば多くの共感と賛同が集まり、“さすがタモさん”と崇め奉られる存在だからです。当然、その言動には確かな裏付けと、奥深い含蓄があります。
その点では、ネット上の声が言うように、ヒカルや梶原とは比較にならないほどの巨人であることは間違いありません。
しかしながら、その人をつまらないと言ったり疑問を呈したりすることに、激しい非難が浴びせられる事態も危ういのではないでしょうか?
◆タモリへの愛情がもたらす副作用
近年、タモリを取り巻く環境や彼を語る言説は、全肯定状態です。つまり、ほぼ信仰の対象になっているのです。
たとえば、令和を「新しい戦前」と命名すれば、多くの人が従順に危機を感じてみせる。“タモリまでこんなことを言っている。いまの政府はけしからん”といった具合に。また、『ミュージックステーション』では出演アーティストがタモリに認められたかどうかを表情や言動から推し量る風潮もあります。
こうした現象は、日本人が抱くタモリへの深い愛情がもたらす副作用だと言えるでしょう。タモリがお笑いとサブカルの巨人であることと、それがいろいろな人の考え方や趣味の基準になることは、本来別物であるはずです。
にもかかわらず、タモリを神聖視するあまり、異論が排除されている。ヒカルや梶原への評価はもっともです。しかし、彼らへの頭ごなしの反発には、そうした不健全な全会一致によるタモリ礼賛という昨今の傾向が作用しているように感じるのです。
◆この空気こそ「新しい戦前」
皮肉なことに、それはタモリ自身が指摘した「新しい戦前」をもっとも鮮明に映し出しています。もちろん、具体的な戦争に踏み込んでいった情勢と、ちんけなネット炎上とでは大きな差があるのは確かです。
しかしながら、漠然とした空気によって言論の自主規制がまかり通っている点では通じるものがあるのではないか。「タモリさんって、全然面白くない」とぶっこんだためにボコボコにされたヒカルこそが、タモリの危惧した浅はかに加熱する社会を浮き彫りにしてしまったからです。
今回、ヒカルと梶原が炎上した背景には、“私たちの愛するタモリが不当に傷つけられた”という多くの人の思いがあります。ある種の正義感に基づいたリアクションだと言えるでしょう。
あの当時の「戦前」にも、そんな反動的なパワーが漂っていたのかもしれません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

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