料理人としての基礎は、
欠かさぬ日々の努力。
――佐藤さんは、小学生の頃から料理人さんを目指していたそうですね。
佐藤さん:料理好きな両親の影響もあって、小学校5年生のときには「将来の夢は料理人」とはっきり宣言していました。「勝負するなら東京だ」という気持ちがあって、高校卒業後に福岡から上京し、ふぐ料理店で3年間働きました。日本料理の道へ進むには、ふぐを扱う免許が必要だ、と思ったんです。
――その後は、「菊乃井」さんという料亭に移られます。
佐藤さん:集めていた料理本に「『菊乃井』の村田さん」という名前がたびたび書かれていることに気づいたんです。それで料亭「菊乃井」の存在を知りました。「僕はきっと、このお店の料理と大将が好きなんだ」という予感がして、実際に食事をしに行きました。すると想像をはるかに超える感動があったんです。翌日「ここで働かせてください」と直談判をしたくらい。
――どんなところに感動があったんでしょう?
佐藤さん:「菊乃井」は、百貨店などにお弁当を卸すこともしていたので、その店舗だけでも厨房に何十人もの板前さんがいて。それだけの人数がいるのにしっかりと統制が取れていて、抜群のチームワークを感じたんです。自分と同年代であろう新人さんの目の輝き方が違うし、尋ねたことにはしっかり答えてくれる。3代目の大将である村田さんには人を惹きつける力があるんだ、と肌で感じました。
――「菊乃井」さんへ直談判した結果が気になります。
佐藤さん:最初に電話で「修業させてほしい」とお伝えしたんですが、断られてしまって。きっとそういう料理人が大勢いるんだと思います。それでも諦めきれず、半年後にもう一度電話でお願いしたところ、話を聞いてくださることになって。
――佐藤さんの気持ちは固まっていたんですね。
佐藤さん:「菊乃井で働きたい」って気持ちしかなかったですね。料理長さんとお話ししたとき、「今の倍厳しい職場になるだろうけど、それでもいいか」と言われました。「もちろんです」と迷いなく返事をしました。
――実際の現場はどうだったんでしょう?
佐藤さん:料理に熱心な人だけの集団でした。なので、半端な気持ちでいる人はみんな辞めちゃう。同期は5人いたけど、1年後には僕ともうひとりだけ。本気でないと続けるのが難しい環境だったと思います。僕は負けず嫌いだし、技術と知識を磨かないと上にはいけないとわかっていたので、毎日仕事が終わってから大根のかつらむき、魚を卸す練習などをしていました。それがあったから力がついたし、いろいろなポジションを任せていただけたと思っています。あの努力をしてよかった、という思いがあります。
――毎日の積み重ねが大切だ、と改めて感じさせられます。
佐藤さん:僕は、料理が好き。それに毎日学べる喜びがあったので、辞めたいと思ったことは1度もなかったです。あの頃がいちばんしんどかったのは間違いないんですが、料理人としても、人としても強くなれたました。社会のことも教えていただいた時間でもあったんです。

海、山、川、雪。
上越の豊かな自然がもたらす食。
――その後、独立して上越に。
佐藤さん:父親が体調を崩し、福岡に戻ることにしたんです。その頃、「上越によい物件がある」というお話をいただいていて。新潟には興味があったし、幸い父親はすぐに回復したので、新しいことに踏み出すタイミングがちょうど重なったんです。
――上越の印象はどうでしたか?
佐藤さん:雄大な山が見えて、すぐ近くに海があって。田んぼが雪で一面真っ白になっている景色は、とても印象に残っています。雪と共存するための雪室や保存食などにも「すごいな」と。そもそも僕は田舎が好きなんだと思います。ずっと福岡、東京で暮らしていたから、多少の人疲れがあったのかもしれません。
――他の場所も検討されたんでしょうか?
佐藤さん:東京も、地元の福岡に戻ることも考えました。でもやっぱり豊かな自然に惹かれました。
――どういうお店にしようと考えていたんですか?
佐藤さん:これまで高田になかった高価格帯の日本料理店で勝負することにしました。新潟県の食材を使った本格的なコース料理です。お店をはじめてみると、「食を通じて地域を活性化したい」と思うようになったんですよね。人口が減少し、若い人は都会に行って高齢化している。お店を営んでいるだけじゃダメだ、まちづくりの段階から取り組まないといけない、と考えるようになったんです。
――都会のようにいかない商売の難しさをどう克服したんでしょう?
佐藤さん:新潟の食材を使うことで、旅行でいらした方が「新潟を体験」することができます。県外から足を運んでもらえるお店にしよう、と思っていました。おかげさまで、東京、長野、石川など県外からお客さまが多く来てくださるようになったんです。


もう一度、
このまちで届ける日本料理。
――ところが残念ながら、2020年にオープンした「樹翠」さんは、その4年後にお店を閉じることになってしまいます。
佐藤さん:いろいろ事情があってそうなりました。そのときは、上越で商売をする意味があるのか、とすごく悩みました。でもやっぱり応援してくださるお客さまがたくさんいたので、「もう一度ここで踏ん張ろう」と思えたんです。なにより、このまちへの愛情がどんどん強くなっていましたし。福岡に帰ろうかな、と迷いつつ、いつも高田でよい物件がないかと探していました(笑)
――夏には、「樹翠」さんが生まれ変わるそうですね。
佐藤さん:今度は築100年近い古民家を再生して、営業する予定です。店舗がある通りでは定期的に朝市をしているので、その日に合わせてモーニング営業をしようと計画中です。それで人の流れを生むことができたらいいな、と。ちなみに新店舗となる物件は、自分で見つけたんですよ。ネットなどで公開されている物件はぜんぶ見尽くしたので、自分の足で探してみようと高田のまちを歩いていたら、とても素敵な外観の古民家が気になって。
――そこがお店になるんですね。
佐藤さん:持ち主さんにお手紙を書いて、古民家を再生して日本料理店をやりたいと思っていること、「樹翠」がどんなお店なのか、をお伝えしました。その方は「物件を所持していてもしょうがないし、どうしようか」と悩んでいたようで、心から迎え入れてくれました。特に「古民家の再生」に賛成してくださったんです。
――きっと持ち主さんにとっても、願ってもない機会だったと思います。
佐藤さん:私が移住を決めた理由のひとつは、この土地の自然と食材の豊かさ。日本海、山と川、そして雪の恵み。どれもこの土地の大切な財産です。古民家を再生し、日本料理店として活用することで、地域の文化や魅力を次の世代へとつなげていきたいと思っています。
――力強い言葉に頼もしさを感じます。
佐藤さん:ジビエも、この地域の自然とともにある食の営みだと思っています。命をいただくことに向き合い、自然のサイクルの中でそれを「生かす」選択をしていきたくて。今は師匠である糸魚川の猟師さんに同行して、学ばせてもらっています。師匠と一緒に「命をいただくこと」について食育を行ったり、料理教室を開いたりしています。上越に移り住んでから、限られた資源をどう活用したらいいのかとか、自然のサイクルを無駄にしない取り組みとかを考えるようになったんです。
――新店舗のオープンに向けては、クラウドファンディングをされています。
佐藤さん:とても大きな反響をいただいて、5日間ほどでファーストゴールとしていた500万円ものご支援をいただきました。常連さんや地域の方、応援してくださる方がたくさんいらっしゃることを身にしみて感じています。ほんとうに感謝しています。
――では最後に、オープンに向けての意気込みを教えてください。
佐藤さん:もうとても楽しみで。「樹翠」の由来は、「松樹千年翠」という言葉。古い葉は落ち、新しい葉が芽吹くことで常に青々としている松のように、上越の地でいつまでも変わらない、でも常に前進しているお店でありたい、という思いを込めました。その気持ちで、新しいお店でも料理に向き合っていきます。

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