以前に比べて、精神科を受診する人は増えているように思います。精神疾患に対する理解が進み、メンタルクリニックなどで治療を受けやすくなってきているからかもしれません。しかし、それでも、ほかの診療科に比べると偏見をもたれることは多く、自身や家族が受診していることを周囲に言い出せないという人は少なくありません。
「私のことを知ってほしい」
73歳の男性は、胆管がんを患って手術を受けた後、不眠や不安が出現し、私の外来を受診されました。
国立大学を卒業後、有名企業に入社し、53歳で役員に。65歳で退職した後も、69歳まで嘱託として勤務していました。仕事柄、海外出張が多く、あちこちの外国に行ったそうです。趣味も旅行で、日本では世界遺産全制覇を目標にしていて、残るは1か所だけ。世界旅行も60か国を目標にしていて、残りは4か国です。
がんの手術も無事に終了して経過も良好だったさなか、男性から突然、「先生に私のことを知っておいていただきたい」と、初めて奥さんのことを吐露されました。
1人で抱えて葛藤
奥さんは職場の同僚で、結婚後、3人の子どもを出産しました。しかし、その後、うつ病になり、大学病院の精神科に通院しました。男性は、妻が受診し始めてから15年後、精神疾患があり、精神科に通院していることを初めてカミングアウトされたそうです。以後、仕事を早めに切り上げて通院に付き添うなど、献身的にサポートをしていました。
ところが、ある日突然、奥さんは帰らぬ人となってしまいました。特段、きっかけはなく、ぼう然自失だったそうです。遺書もなく、どうしてそうなったのか今でもわからないままです。
当時学生だったお子さんたちには、精神科に通院していたことは知らせていませんでした。亡くなった妻が「通院していたことを誰にも知られたくない」と思っていたことを尊重したかったからです。親族や知人には、精神科で治療を受けていたことはもちろん、命を絶ったことも伝えず、「自然死」ということにしていました。
男性は今、幸せな毎日を送っていますが、それでも「なんで命を絶ったのか」「何が悪かったんだろう」「私が悪かったのか、精神科医のせいなのか」……など、いろいろと考えることがあり、時には眠れずに過ごす夜もあると言います。「亡くなった女房が精神科に通院していたことを、本当に1人で抱えてあの世にいってもよいものなのか。少なくとも子どもたちには伝えたほうがいいのではないか」と悩むようになりました。
外来を受診されてその話を聞いた時、私は「お子さんたちに、伝えてもいいのではないか。伝えることでお子さん自身が今後、生活をする上で『お母さんと一緒で自分もストレス耐性が低いかもしれないからここまでにしよう』など、何か悩みを抱えた時に対応策を取ることができるのではないか。あなたの心も軽くなる」とアドバイスをしました。
男性が出した結論
その後も男性は定期的に通院してくださっていますが、この話題が上ることは今、ありません。
結局、お子さんたちには、妻が精神科に通院していたことは伝えないままで過ごされているようです。ご本人が考えた末のことなので、ベストな決断だと私は思います。「女房の主治医だった精神科医を恨む気持ちもあったし、やけっぱちになって酒浸りになりそうな時期もあったが、今は亡くなった女房と一緒に年を取っていこうと思えるようになった」と話されていたのが印象的です。
精神疾患についての正しい知識は日に日に周知され、昔に比べて精神科受診の敷居は低くなっていると言われています。しかし、今でもやはり根強い抵抗を感じてしまう方がいらっしゃるのも事実です。
精神科で治療を受けていてもいなくても、特に思い当たる誘因がなくても、どんなに周りの人が注意深く見守っていても、最悪な事態を招いてしまうことは残念ながらあります。そして残されたご家族や、知人たちは、決して忘れることができない深い心の傷を負います。抱えきれない葛藤や悩みがあって心が苦しくなった時には、一度、精神科医にご相談していただきたいと思います。(浅野聡子 精神科医)


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