「身の丈に合った場所に行きなさい」――周囲は「かわいそう」という言葉で、東大を目指す子の可能性に蓋をしようとします。その子自身ですら、自分の可能性を諦めようとしたその瞬間、『ビリギャル』坪田先生と講師たちが突きつけたのは、「挑戦しないこと」の本当の恐ろしさでした。
親の愛情が、皮肉にも子どもの脳をフリーズさせてしまうメカニズムと、子どもの「本気」を支える最高の応援団長になるための秘訣を解き明かします。
※本記事は、『勝手な夢を押しつける親を憎む優等生と、東大は無理とバカにされた学年ビリが、現役合格した話』(坪田信貴/サンマーク出版)の一部を抜粋・再編集したものです。
希栄:親に「医学部に行け」と言われ続け、親を殺したいと思っている。
翔太:親から「この子はバカだ」と言われながら、東大を目指す。
健太:落ち着きがなく、高3で「九九」ができない。レゴが好き。
美咲:高1から引きこもり。絵を描くことだけは好き。
悠斗:白血病を患いながら、医者になる夢を持っている。
坪田先生:ビリギャルの先生。「全ての子には可能性がある」がモットー。
遙先生:現役東大生。将来の夢は文科省で教育システムを作ること。
中野先生:坪田塾本郷三丁目校校長。坪田先生が最も信頼している講師。
目指すは、東大か? 身の丈にあった大学か?
月曜日。夏期講習が始まって、塾の開始時間が午後1時に繰り上がっていた。昼過ぎの強い日差しの中、生徒たちが次々と登塾してくる。
健太は相変わらず走りながら「暑い! でも間に合った!」と汗だくで教室に飛び込んできた。
希栄は日傘を差しながら、不機嫌そうな顔で入ってくる。「この時間、最悪。暑すぎる」と、不機嫌そうに席に座る。
美咲は黒いパーカーのフードを深くかぶり、イヤホンをしたまま無言で席に着く。夏でも長袖なのは変わらない。
いつもなら早めに来ているはずの翔太が最後に飛び込んできた。しかし、いつもと様子が違った。普段の明るい表情が影を潜め、目が合うと無理に笑顔を作る。
「翔太、どうした?」
中野先生が気がついて声をかけるが、翔太は「いや、別に……」と目を逸らした。授業が始まっても、英語の速読教材を開くが、手が進まない。
「なんで覚えられないんだよ……」
翔太の苛立った声が聞こえる。翔太はタイマーを片手に、何度も同じ文章を読み返している。速く読もうとすると内容が頭に入らず、理解しようとすると時間が足りない。その葛藤が、表情に現れていた。
遙先生は、翔太の様子を見ながら思った。
翔太くんは、文法は理解できてる。単語も必死に覚えている。でも、東大の速読は、1分間に120語読む必要がある。ノートのメモによれば、今の翔太くんは、まだ80語がやっと。しかも、読んだ内容をすぐに忘れてしまう。速く読みながら内容を理解するのは、私だってかなり練習が必要だった。
やっぱり無理だよね……遙先生の心にそんな言葉がよぎる。小学生レベルから始めた子が、たった数ヶ月で東大の速読レベルに到達するなんて。私は中学から高校英語の先行学習をしていたし、高1の時点で英検2級も取っていた。速読だって、高2の頃にはもう1分間に150語は読めていた。他の東大志望生たちだって、そこからさらに努力を重ねている。この差は埋まらない。
データ上では、「無理」の答えしか出てこない。でも……翔太の必死な姿を見ていると、胸が痛んだ。
ムダな努力だ。早く見切りをつけて、他の大学の入試に向けて努力を始めた方がいい。
でも……がんばっているのは事実。それをやめさせるのが本当にいいことなのか。
遙先生は複雑な感情を抱えながら、翔太を見つめていた。
そんな時、受付から声がかかった。
「翔太くん、坪田先生のところにお母さんが来てるよ」
翔太の顔がさらに曇った。中野先生と遙先生も同席することになり、翔太は重い足取りで面談室に向かう。
「先生、すみません。ちょっとご相談が……」
翔太の母親は、スーパーのレジ打ちの制服のまま、申し訳なさそうに切り出した。手には買い物袋を提げ、疲れた顔をしている。
「実は先週、ママ友に話したんです。うちの翔太が東大目指してるって」
翔太はこれから何を言われるかわかっているのか、小さくなって座っている。
「そしたら、みんなに言われちゃって……『かわいそう』『落ちて傷つくだけ』『身の程を知った方がいい』って」母親の声が震えた。
「近所の木山さんなんて、『おたくは母子家庭なのに、東大なんて塾代どうするの?』って。『うちの子なんて、頭いいけど身の丈に合ったところにしたのよ』って言われて……」
翔太は唇を嚙んでいた。握りしめた拳が、膝の上で小刻みに震えている。
「それで?」坪田先生が穏やかに聞いた。
「私も……やっぱり無理なんじゃないかって。東大なんて目指して、落ちた時のこと考えたら……」
「かわいそうだと」
「はい……」
遙先生は母親の不安そうな顔を見た。
言っていることはわかる。翔太くんが受かる可能性なんてほぼゼロに近い。それならさっさと別の大学の対策をした方がいいはずだ。でも……自分もさっき無理だと思っていたはずなのに、なぜか気持ちがざわざわした。
だって翔太くん、がんばってるのに。がんばっている子どもを、なぜ親が否定するの?
うちはバカな家系で……
