「子どもに掃除をさせるのは虐待か?」――欧米で議論を呼ぶ日本の学校文化が、今エジプトで熱烈に支持されています。コロナ禍の混乱をいち早く乗り越えた日本の強さは、どこにあるのか。
今回は、イギリス、日本、アメリカで教育を受けてきたドキュメンタリー監督・山崎エマさんの著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)を一部抜粋してご紹介いたします。
単なる「教科教育」を超えた、人間関係や責任感を育む“小さな社会”としての日本の学校の凄さを再発見します。
あらゆる困難を乗り越え、映画『小学校~それは小さな社会~』の舞台となる学校が決まったのは2020年1月のことでした。しかしその矢先、パンデミックが起こり、学校は全国一斉に休校。撮影も中止になってしまいます。
予期せぬ中止から1年。翌年度の開始を前に、いまだコロナ禍が続く中でプロジェクトを決行すべきか、収束を待って仕切り直すべきか、深く悩みました。仕切り直しとなれば、諸々の事情から数年のブランクは避けられませんが、コロナ禍の学校は、作品の舞台として思い描いていた姿とはかなり違うものでした。
それでも2021年度に作品を撮ることに決めたのは、「パンデミックの緊急事態だからこそ見える、日本の学校の特徴がある」と気づいたからです。
欧米では休校が長引く中、日本ではわずか3か月で学校が再開されました。その背景には、学校という場所の捉え方の違いがあったと思います。
学校は教科を学ぶ場所という考え方を基本とする社会においては、学校の勉強はオンラインでも十分に代替できるものとみなされました。しかし、学校を単に「教科を学ぶ場所」ではなく、「小さな社会として人格の基礎を作り、人間関係形成力を養う場所」としてとらえている日本では、子どもたちの対面学習の一刻も早い再開が優先されたのです。
日本の子どもたちは、感染症対策として重要とされた「喋らない」「距離を取る」「マスクをつける」などの制限さえも、「理不尽な要請」ではなく「周りに配慮するための心掛け」の一環と捉えたため、「この状況の中でどう工夫するか」と考えることまでできていたのです。多くの我慢を強いられながらも、それさえも人生の教訓にするような健気な姿が目に留まりました。それは紛れもなく、今までの教育がもたらした結果でした。
一方、アメリカのような「個人の自由」が何よりも大事と教育されてきた文化圏では、コロナ禍での制限は大きな反発と混乱を招きました。
日本の小学校での撮影が始まって半年が経った2021年9月、アメリカ社会では新年度が始まり、1年半ぶりに多くの学校で対面授業が再開されることになりましたが、「果たして子どもたちは学校でもマスクをつけ、ソーシャルディスタンスを保てるのか」「そもそも、この状況の中でどう学校を運営すればよいのか」という議論の最中にありました。
すでに学校が再開してから1年以上が経ち、コロナ禍の様々な制限の中で、先生方と子どもたちが我慢と工夫をかさねながら通常に近い形での教育活動が精一杯行われている日本の教育現場を見ていた私は、周回遅れとも言えるアメリカの状況を知り、日本のすごさをあらためて感じたのです。
