腕時計も下敷きも「それ何?」と言われ、静かに話を聞く子は「賢くない」とみなされる――。インターナショナルスクールへ転校した筆者が目撃した、日本とはまったく異なる教育のリアル。
今回は、イギリス、日本、アメリカで教育を受けてきたドキュメンタリー監督・山崎エマさんの著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)を一部抜粋してご紹介いたします。
40か国の個性が集まる教室で学んだ、「自己アピール」と「自己責任」の衝撃とは。
40か国の子どもが集まる学校
入学したのは、六甲アイランドにある、カナディアン・アカデミーというインターナショナルスクールです。カナダから来た宣教師らが1913年に六甲山の近くに設立したという経緯からこのような名前が付いていますが、私が通っていた頃にはアメリカンスクールに近い文化を持ち、カリキュラムとしてはスイスに本部を置く国際バカロレア機構が提供する「IBプログラム」を主に取り入れていました。
入学してから最初の数日間は、違う星にいるかのような気分で過ごしました。それまで通っていた小学校とは、場所も校舎の雰囲気も、そこにいる子どもたちも全然違います。
学校のロビーには、在籍する生徒たち全員の国籍の旗が並んでいました。
40か国以上だったと思います。まるで国連のようなディスプレイでした。学校近くにあったP&Gのアジア拠点で働くアメリカ人の子ども、神戸に長年住んでいるインド人家庭の子どももいれば、ヨーロッパやアジア各国から来た駐在員の家庭、そして海外から帰国した日本人家庭の子どももいて、生徒たちのバックグラウンドは様々でした。
加えて持ち物にも違いがありました。日本の小学校は持ち物の指導が厳しく、使える鉛筆やペンの種類に制限があり、下敷きも絶対必要でした。でも、インターではみんなが様々な文房具を使っていて、ノートもバラバラ。下敷きに至っては誰も持ってさえおらず、クラスメイトに「それ何?」と聞かれる始末。
日本の小学校とのあまりの違いに拍子抜けしました。
そして、一日が終わっても掃除の時間が始まらないのです。「こんなに教室が綺麗だから、みんな掃除が上手なんじゃないかな」なんて思いながら、そわそわと掃除の時間を待っているうちに放課後になりました。すると、立派な機械を抱えたスタッフのおばさんたちが教室に入ってきて掃除を始めたのです。そこでようやく「そうか、この学校では子どもは掃除しなくていいんだ」と気づきました。
インターにしか通ったことがない子にとってはそれが普通でしょうけど、日本の小学校で毎日掃除をしていた自分にとって、他の人に掃除をしてもらえるのは普通のことではありません。子どもですから、自分で掃除をしなくてもいいことを最初は喜びましたが、一方で掃除をしてくださる方々への感謝の気持ちも持っていました。
戸惑ったのはこれだけではありません。それまで日本の学校では授業中に何も言わず教室から出るのは絶対にしてはいけないことで、トイレに行くときも必ず先生に伝えていました。でも、インターでは違います。「生徒が教室から出ていく=トイレに行く」という理解だったのです。
入学当初、私は他の子が勝手に教室から出ていく理由がわかりませんでした。手を挙げて「先生、トイレに行っていいですか」と言う子が周りにひとりもいなかったので、自分がトイレに行きたい時も授業が終わるまで我慢していたのです。その後、何かのタイミングで「どうやってトイレに行けばいいのですか?」と先生に聞いたら、「そんなこと僕に言わなくてもいい、行きたきゃ行けばいい」と言われてびっくりしました。
授業中でも自由にトイレに行ける環境ですから、無駄に長くトイレにいてサボるような子も中にはいました。でも先生たちは何も言わず、まずは子どもを信頼して任せる、というスタンスです。
小学校とは打って変わって、「学校内での行動は、すべて先生の許可を取る必要がある」という雰囲気がまったくなくなったことに、最初のうちは慣れませんでした。
「静かに先生の話を聞ける子」ではダメ
