体の色素が生まれつき不足しているアルビノの当事者として、現在は講演会などを行っている神原由佳さん。小学校卒業まではアルビノという言葉すら知らず、私は他人とは違うと漠然と思っていたそうですが ──。(全2回中の1回)
【写真】「髪の毛サラサラ」無邪気な幼少期の神原さん(3枚目/全12枚)
「お姉ちゃんはどうしてそんな色なの?」 社会福祉士、精神保健福祉士として活躍する神原さん
── 神原さんが、ご自身の髪の毛の色や肌の色など、ほかの人と比べてなにか違うな、と感じたのはいつころですか?
神原さん:幼稚園の年中くらいのときですね。誰かに何か言われたわけじゃないんですけど、子どもだから、男の子がちょっかいを出してくることがあるじゃないですか。そんなとき、私は人と見た目が違うから、そんなことされるのかなって思ったような気がします。
── 小学生になると、アルビノであることで学校生活に影響するようなことはありましたか?
神原さん:アルビノの症状のひとつとして視力の問題、弱視があります。私は黒板の字が見えにくく、クラスの席順はいつもいちばん前。学期が変わるごとに席替えをしても、私の席は決まって最前列でした。日焼けにも弱く、日焼けした部位は赤く熱を持ったり、ひどいときは腫れ上がったり。日焼け止めは今でこそサラッとしたつけ心地のものや無臭のものがありますが、当時はベタッとしていて匂いも独特。毎日塗るのが不快でした。ただ、いちど日焼け止めを塗らずに運動会に参加したらひどい水ぶくれになってしまい、夜、お風呂に入るのが痛くてたまらなかったです。
学校のプールの時間は日差しが強いため、保健室で過ごしました。もともと運動が得意ではなかったし、保健室の先生が大好きだったので、そこはプールがさぼれてラッキーだったかな思いますが(笑)。
── 肌や髪の色について、思うこともあったとか。
神崎さん:図工の時間に自画像を描くことがあったんです。自分の顔を鏡で見ながら描いて、クレヨンで色を塗っていきましたが、私の肌や髪色に近い色がなかったんですね。今は「ペールオレンジ」「うすだいたい」など言い方があるようですが、当時は「はだいろ」と言っていた時代で、自分の肌は「はだいろ」より白かったし、かといって真っ白ではない。髪の毛もみんなは黒いクレヨンを使うなか、私は金髪ではなかったので黄色にしたのかな、とにかくしっくりこないまま提出しました。みんなの自画像は黒板の周りに貼りだされたのですが、黒板を見るたびに自分の自画像が目に入ってしまい、気になってしょうがなかったですね。
── 小学生のころは見た目について、からかわれたり、いじめられたりするようなことはありましたか?
神崎さん:そこは恵まれていて、学校には友達がいたし、みんな仲良くしてくれました。ただ、学校の遠足で公園に行って、みんなでお弁当を食べていたとき、何か視線を感じるなぁと思ったら、ほかの学校の子どもたちが私をジロジロ見ていたことはありました。
いちばん衝撃的だったのは小学5年生のときですね。昼休みにひとりで廊下を歩いていたら突然、小学1年生の男の子が話しかけてきて「お姉ちゃんはどうしてそんな(髪と肌の)色なの?」と聞いてきたんです。今まで母が隣にいるときは、誰かに何か聞かれても母が説明してくれましたが、私ひとりのときに言われたのが初めてだったので、もう、びっくりしちゃって…!「生まれつきなんだよ」とだけ言い残して、保健室に急いで駆け込みました。
相手は悪意があったわけではなく、純粋に聞いてきただけだと思うんです。でも、誰も私に触れてこなかった質問を直球で投げかけられて、自分でもどう気持ちと向き合えばいいのかわかりませんでした。
アルビノの赤ちゃんの写真を見て「これ、私だ!」 高校時代の神原さん。日差しから目を守るために遮光レンズをつけて
── 当時、ご両親にご自身の身体症状について聞いたことはありましたか?
神原さん:なんとなく聞けなかったですね。親も説明してこなかったし、子どもながらに触れてはいけないような気がしちゃって。自分の体について、何か気にしてると思われるのもなんだか嫌だったというか。
── ご自身がアルビノと知ったのはいつくらいですか?
神原さん:小学生のころは「アルビノ」という言葉自体まだ知らなかったんです。でもみんなと肌や髪色など見た目が違うし、皮膚科や眼科に年に数回通いながら、私は人と何か違うんだろうな、とは漠然と思っていました。
自分がアルビノと知ったのは小学校を卒業する数日前です。小学校を卒業するときに、学校から「親に渡して」と、学校で保管された個人情報の書類を封筒に入れて渡されたんです。帰宅途中、何が書かれているんだろうって少しワクワクしながら書類を見てみると、特記事項の欄に「白皮症」と記載されていました。帰宅してインターネットで「白皮症」を検索すると、「白皮症」が「アルビノ」と呼ばれる遺伝子疾患だと知りました。
さらにいろいろ検索していくと、アルビノの子どもを持つ母親のブログにたどり着いて、髪の毛の色が私とそっくりな赤ちゃんの写真が出てきたんです。思わず「私だ!」と思うほど、私に似ていて思わず固まりましたね。その後も何度かそのホームページを訪れては、自分と同じ状態の人もいるんだと知って少しホッとした気持ちと、アルビノは病気と知ってしまった気持ちもあって、複雑な気持ちにもなりました。でも、今、大人になって当時を振り返ると、自分ひとりじゃないと知れたことは、幼少期の自分にはとても大切なことだったと思います。
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現在、講演会などでアルビノについて発信する神原さん。もし街中でアルビノの人に会ったら「好意的無関心」でいてほしい、奇異の目を向けず、無視でもなく、知らんぷりしてもらえたらうれしい。そう伝えているそうです。
取材・文/松永怜 写真提供/神原由佳