小中学生女子の将来就きたい職業ランキングで、5年連続1位に輝く職業「パティシエ(お菓子職人)」(※1)。その一方で、キャリアを重ねた有名シェフの多くは男性。実際に、25歳以下では女性がパティシエの約87%を占めているにもかかわらず、46歳以上では約45%に激減するほど多くの女性が離職しています(※2)。

そんなパティシエ業界で女性が長く働き、自分らしくお菓子作りを続けていくには一体どうすれば?

「ka ha na -菓 葉 絆-」代表の根本理絵さん

現在活躍している女性パティシエの人生に迫る連載「女性パティシエの履歴書」2人目で紹介するのは、東京・三鷹に2024年に実店舗をオープンし、さらなる盛り上がりをみせるブランド「ka ha na -菓 葉 絆-」を手掛ける根本理絵さん。

西麻布にあるミシュラン星付きレストラン「レフェルヴェソンス」のシェフパティシエの経験ももつ根本さんは、どのように自分のブランドを立ち上げ、実店舗オープンまで至ったのか。これまでの歩みや苦悩、若手パティシエへの助言を前後編にわたってお届けします。

【店舗紹介記事はこちら】
オープン間もなく行列ができる「ka ha na -菓葉絆-」(三鷹)。星付きレストラン出身のパティシエールが紡ぐ素材と向き合うお菓子

オンラインショップから始まった「ka ha na -菓 葉 絆-」。三鷹の実店舗にファンが殺到

2023年にオンライン販売限定のブランドとして立ち上がり、百貨店の催事やイベントへの出店でも注目を浴びた「ka ha na -菓 葉 絆-」。丁寧に素材と向き合い、複数の旬の素材を組み合わせて作るお菓子は、うっとりするほどの香り高さと、奥深い美味しさを楽しめます。

2024年8月に東京・三鷹にオープンした実店舗は、開店前から行列ができる人気ぶり。スイーツ好きはもちろん、地元の人からも愛されるお店となっています。

小学生から好きだったお菓子作り。入学して気づいた厳しさ

業界の外から見ると、日々スイーツに囲まれ、幸せに思えるパティシエの世界。根本さんがパティシエ業界の厳しさに気づいたのはいつごろ?

根本さん「小学生の頃からお菓子作りが好きで、母と一緒に作っていたんです。高校の進路選択のときに“何か好きな仕事をしたい”と漠然と思って選んだのが、製菓の専門学校でした。

はじめはこんなに厳しい世界だとは思っていなくて、気づいたのは入学してからです。学校の研修でお店に行ったとき、“こんなに大変な世界なんだ”と驚きました。

町場のパティスリーで働くことに不安があったため、卒業後の就職先には、労働条件が整っていそうな結婚式場を選びました。労働時間が比較的安定していて、働きやすかったですね。ただ、お菓子は既製品や冷凍の生地を使ったものが多かったです。

2年くらい働いた後、このままパティシエを続けるならもう少しお菓子の勉強をしなければならないと感じ、パティスリーに行くことを決めました」

21歳でパティスリーへ。お店を立て直すシェフパティシエに

そして、根本さんは結婚式場からパティスリーへ転職することに。大阪にある名ベーカリー「ル・シュクレ・クール」のオーナーが開いたパティスリーに入職します。

根本さん「新しく入ったパティスリーでは、フランス菓子の基礎とお菓子の精神を徹底的に学びました。ただ、クリスマスなどの繁忙期は睡眠時間もとれず、休みなく働き、手荒れや身体の不調もありました。上下関係の厳しさもあり“もうパティシエを辞めよう”と考えるくらい追い詰められてしまって。

それでもお店自体はとても好きで、オーナーとシェフのことをとても尊敬していましたし、作ること以外で自分に役に立てることは何かと考え、販売職に移らせてもらいました。

「ka ha na -菓 葉 絆-」実店舗のショーケース

周りからは『楽な道を選んだな』という目で見られていたかもしれません。でも、大阪の郊外にあるお店で売れ行きが芳しくなかった分、自分ができることで売り上げを伸ばそうと思って。

お客様の顔を覚えてコミュニケーションを取ることを、苦手ながら努力しました。ほかにも、当時はSNSがなかったのでブログを書いて発信したり、オンラインサイトの代わりに地方発送の方法を考えたり……。お店のために自分なりに試行錯誤した経験は、財産になっています」

それから2年後、根本さんに転機が訪れます。

根本さん「初代シェフが独立したことで、お店の状態が大きく変わってしまいました。売り上げが下がってしまったり、材料が余ってしまったり……。このままではいけないと思い、厨房に復帰しました。

その後、2代目のシェフがすぐに辞めてしまい、お店が閉店危機になって。好きなお店がなくなるのは絶対に嫌だという想いもあり、オーナーと話し合った末、私がシェフパティシエになったんです。

「kahanaのプリン」

とはいえ、プレッシャーがあまりに大きかったので、1年が限界です、とオーナーには伝えていました。でも、25歳でシェフパティシエとして店のスタッフをまとめて、メニューやお金のこと、赤字の状況をどう立て直すかを考え抜いた経験は、実店舗を開くのにとても役立ちました。

新しいお菓子を考えたくても、やはり経験も浅く引き出しがなかった。休みの日もひたすら本を読み漁って研究したり、他店に食べ歩きに行ったりしていました。その時代は、朝6時から夜9時まで働くような日々が当たり前でしたね。

シェフパティシエになり1年が経ち、代わりの人が見つかりお店を卒業することになりました。どう頑張ってもお菓子についての引き出しが足りないと感じていたのもあり、別の場所で経験を積まなければならないと思っていました。その時のパティスリーのオーナーは、いろいろなレストランに連れて行ってくれたのですが、そこで食べる『アシェットデセール』にだんだん興味を持つようになったんです」

新たな引き出しを求めて「レフェルヴェソンス」に 「レフェルヴェソンス」時代の根本さん

根本さんは、当時ミシュラン1つ星(現在は3つ星)だった西麻布のレストラン「レフェルヴェソンス」に入店。シェフパティシエとして、約3年間腕を振るいます。

根本さん「レフェルヴェソンスでは3年弱ほど働いて、その後出産と育休も経験しました。今のお菓子に活かされている旬の素材や果物の加工方法や組み合わせ、素材から発想して作るデザート、お菓子の組み立てはレストランで習得したものです。

パティシエはそのほかの料理担当よりも朝が早かったので、8時には出勤していました。仕込みから始まり16時までランチ営業、1時間休憩、17時からディナーの準備をして、最後のデザートを出す23時半あたりまで厨房にいました。結局掃除まで全て終わるのが24時過ぎ、そこから夜のまかないを食べて、遅いときは夜中の1時に帰宅するような生活でした。

それでも、週1休みだったパティスリーに対し、レストランは週2休みだったのでむしろ“休みが多くて嬉しい!”という感覚だったんです。とはいえ、レストランの仕事の山場はディナータイムです。子どもが生まれてからその生活を続けるのは考えられませんでした。

社長と復帰について話し合ったこともあったのですが、初めての育児で不安も大きく、当時メニューを考えるのに使っていた膨大な時間を子どもがいながら作るのは難しい。それで、退職を決めたんです」

出産と育児をきっかけに、「レフェルヴェソンス」を去ることとなった根本さん。後編では、人気ブランド「ka ha na -菓 葉 絆-」が生まれるまでと、根本さんが話す若手パティシエへのアドバイスを中心にお届けします。

About Shop
ka ha na -菓葉絆-
東京都三鷹市下連雀4丁目15-26
営業時間:11:00~18:00(なくなり次第閉店)
定休日:日~火曜(水曜不定休、その他変更の場合あり)
Instagram:@kahana_pastry_tokyo

※1)アデコ株式会社.“全国の小中学生1,800人を対象にした「将来就きたい職業」に関する調査:男子の1位は「サッカー選手」、女子の1位は「パティシエ」”.アデコ コーポレートサイト https://www.adeccogroup.jp/power-of-work/326
※2)ufu.[ウフ。].“【THINK ME】なぜ大勢いた女性パティシエの大半が辞めてしまうのか?高い離職率の製菓業界「若手の本音」” https://www.ufu-sweets.jp/patisserie/2024think-me/

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