日本のゲームが、僕に美しさの見方を教えてくれた

日本に来るずっと前から、僕はもう何千時間も「日本製の夢」の中で生きていました。

北斎のスケッチを見て、絵を描き続けるうちに気づいたことがあります。

皆さんは、日本のゲームから何を学びましたか?
ぜひコメントで教えてください。

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33 Comments

  1. タントリスさんの話を聞いていると いつも自分の中に沢山詰め込まれている日本文化をひっぱり出してくれて懐かしくなります。年をとってからも可愛い物が好きなのは自分が幼いからかな?と思っていたけれど恥じる事ではないんですね。女性はフランス人みたいな只々機能的な?🙄ファッションをしなければ本当の大人の女になれない、みたいな事がしきりと言われていた時代があって、、でもどうしてもなれなかった😂 頭の中は年相応に大人に成長してきているとは思っているんですけどね。😅 日本語、言語の話でも深い気づきを与えて下さったし、これからもこういう話、楽しみにしています。

  2. もう、ずっと前にアメリカの東の端NYC→ CAで生活しました。
    昔の事ですが、現地NYCの男性・彼らは「男らしさ」を常に誇示しなければならない病みたいなのに取り憑かれており1. 髪の毛は短くカットする 2.髭を生やす(髭が伸びるのに剃るのはファgt扱い) 3.高校は辞めるのが「男らしい」 4.ピットブルを連れて歩く 等々していましたが、自己表現をし続けない、誇示しない文化圏で生まれ育った一人としては、そういう彼らの言動は1.感情的 2.侮蔑的 3.短絡的 4.攻撃的 5.(似た仲間とつるんで)排他的 である、
    言い換えるなら野生動物と同じだと認識していました。

    NYCからCAに移り住んだ時は全く違った文化圏で、まさにフレンドリー(人によっては馴れ馴れしい程)だけれど、ここでも「自己表現をし続けなければならない病」の世界。
    そういう文化圏、価値観の国だからこそ様々な芸術が生まれてくるのでしょうが、生まれた時からそういう世界で生きている側にとって「常に『自分』を表現し発信するのが当たり前」なのは息苦しさは無いのだろうか?とも疑問が浮かびました。

    昔ネットのゲーム記事をリンクしていたサイトに投稿されたコメントに
    「(任天堂の)カービィは、たしかに可愛い。だが、それを認めたら俺の男らしさは・・!」みたいな内容("Enjoying cute characters is seen as a threat to traditional masculinity." か "People who call this game unmanly are just showing their fragile masculinity."的な内容だった)で、その文を目にして「息苦しい『正しい価値観』を信望しなければならない世界だな」と。

    暴力や腕力、他者を罵り嘲り強制的に追いやる力を出すのが「男らしい」の価値観では、人と人との関係は上下でしか判断できず、常に自己を脅かされる脆弱さ(これは無意識)を抱えているから、常に力を誇示する必要があり、それがゲームの選択にも影響を与えてしまう。

    何というか、個人的には「めんどくさい」価値観、考え方。笑
    ゲームはゲームで楽しめばいいのに、と。

    タントリスさんの好みとは少しズレるかもしれませんが、ゼルダの伝説シリーズだと「リンクの冒険」の神殿BGMが個人的に今でも好きです。

    長文コメント、失礼致しました。

  3. 日本は、ジェノサイド繰り返す醜いユ夕″ヤ国家の真逆にある。ICC所長判事赤根智子氏は「モサト″などの脅迫に屈しない」とし、ネタニヤフと前国防相を戦争犯罪者裁定し国際指名手配。ICJ所長判事岩澤雄司氏もIDFの戦闘行為を止めるよう勧告。

  4. ChatGPTにセザンヌの絵はパースが取れてないへたっぴ画家だって言い続けたら貴方には西洋絵画の特に近代西洋絵画を考察する才能が皆無だって言われた僕からしたら今回のタントリスの日本絵画(アニキャラ)の考察を聞いて納得したわ。草

  5. 日本が少ない手数でより多くを表現する事にこだわるのは「俳句」からの影響が大きいように感じる。
    575。17文字だけで誰でも作れる詩であるが、そのたった17文字で世界を切り取った上で自身の感情の動きも併せて表現する必要がある。
    更に人々に深い共感や感動を与えるためには非常に多くの手間や試行錯誤や天才的な発想が必要になる。
    そこにはクリエイターとしての要素の全てが残酷なまでに現れてきてしまう。

    俳句ではないが稀代の天才による才能の爆発の好例がある。
    『大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立』
    一見、「美しいと評判の天橋立を見たいが道が険しく遠い為、見に行けないが見てみたい。」いう憧憬を詠んだものの様にも解釈する事が可能な短歌ではあるが、読まれた背景を知るともっと恐ろしいほどの才能の発露がそこにあります。

    この句を詠んだ小式部内侍は10代半ばにして短歌の名手であった。しかし、その著作は高名な母の代作ではないかとの心無い揶揄に会う。
    その揶揄への返事として即興で詠まれたのが先の短歌である。

    それを加味して解説をすると以下のようになる。
    「(代作の源作者として名の挙がった)母は遠く天橋立に居る
    ①イクノ(生野=平安京~天橋立の間の通り道の地名)②いくのの道(行く野の道=行程として険しい山道を通らなければならない)※たった7文字でダブルミーニングしている
    余りにも遠いので❶まだ踏みも見ず(=その地に行ったこと無い)❷未だ文(手紙)も見ず(=代作した手紙など届くはずがない)※また7文字でダブルミーニング!」となる。

    余りにも見事な短歌であったため本来なら歌を詠まれたら返歌しなければならない慣習があるにも関わらず、狼狽した余りに揶揄った側が逃亡したとのエピソードがあるとされています。

    短い語句や少ない手数で豊かな表現をする事の大変さや素晴らしさ。加えてそれを得た側の感動を日本人は知っています。
    それが故に凝り性の日本人は「やりたい、やってみたい」と思ってしまうのかもしれません。
    最後にバロック主義こそ完璧の本懐と思いがちな欧米の方々ですが、その中でも日本と同じような発想を持った偉大なクリエイターの言葉を引用したいと思います。

    「完璧とは足すものが何もない状態ではなく、削るものが何もない状態を言う」アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
    非才故に言葉数が多くなる凡愚の戯言失礼しました。

  6. リアルも素晴らしいと思います。ですが、リアルが素晴らしいから他は価値が無い、という価値観が無いのだと思います。リアルも素晴らしいが、その他の表現も素晴らしく面白い。
    北斎の流れから漫画へと続きそれに馴染んでいる文化からしたらリアルも良いですが、リアルで無いものを捨てる理由もないのですよ。そこにきちんと価値を感じているのです。

  7. リアル調に行かないで独自路線を行くのは日本人は創作を創作と割り切って楽しむ素養を幼い頃から養っているからではないだろうか。
    西洋に限らず他の国の文化は創作のことをどこか現実と錯覚・混同してしまう認知的バグのようなものを持っているように思う。
    だから創作の聖書を現実であるかのように錯覚して宗教が生まれるし、創作との違いがわからないから偶像崇拝を禁止して混乱を避けたりする。
    現実と混同するから現実と合致しているほど肯定され、マンガ・アニメのキャラクターの人種などという謎のトピックを気にし、創作にコンプラを守らせようとする。
    創作は創作として楽しめば良いんだという当たり前のことを日本人は知っていて、それを理解し共感できる外国人が日本のコンテンツを好きになるのかもしれない。

  8. 西洋と全然アートへの捉え方違って驚いた!

    タントリスの動画を見て、
    西洋って自分の立場を決めて表現するって知ってからやっぱり根本から違いがあって、それがアートにも影響するんだなと気付かされました

    話変わるけどファイナルファンタジーも2018年くらいからあんまグラフィック変わらなくて逆にびっくり。
    日本人はリアルさに執着無いんでしょうね。
    現実を絵で描いてる時点で嘘だし。
    毛穴とかキャラにあったらイヤだ、、

    日本人のオタク妄想力が豊かだからディープに行くほど気持ち悪いから😅
    でもそういう人たちが文化作ったと思う。

    政治とか宗教の思想が入ってなくて、一般人の妄想だったから広く受け入れられるのかもしれない。
    全世界の人に共通する人間ぽさが心に刺さるみたいな。

  9. うろ覚えだけど江戸時代に日本を訪れた西洋人が指摘してましたね。「日本人は大人が子供たちのために真剣に玩具を作って与え、自分たちもそれを楽しんで遊んでる。可笑しな国だ」。昔から変わってないね笑

  10. タントリスさんはニュアンスを言語化できる天才ですね。素晴らしい。
    これで、世界がまた豊かになりました。有難うございます。

  11. 画業を曲がりなりにも生業にしているものです。
    絵を描く時構成を面で描く光で描くより、線で輪郭を描くそれに色を入れる。物体が中身の詰まったmassと理解するか身体は空でありなかに何かを入れる入れ物と認識しているかで表現が変わると思います。
    多分シンプルな線だからこそ、「鑑賞するものの視点」が自然と入り込むからシンプルでも伝わるように感じるのではないでしょうか。
    長文失礼致しました。

  12. 欧米人は言語能力が高い傾向がある。哲学、法律、政治、の分野がとにかく強度がある。その影響はなんか一般化されて他人に受け入れられていく拡張性がある。日本人がやってることは一般性の強度は低いが理解できる人にはかなりハマる類のものだと思う。

  13. あなたに一度見てほしいのは…B子という投稿者の「もらいもん」です。正体不明の投稿者ですが、映像、音楽、作家性全てがとてつもないレベルなのに…やっていることは「パロディ」そして心に残るストーリー…タントリスの琴線に触れると信じます。

  14. 自分は洋ゲーだとブリザード社の「Diablo」にハマりました。
    まだ20代でしたが。
    日本のゲームだとセガサターンの「天外魔境 第四の黙示録」がマイフェバリット。
    どちらもRPGという以外共通点はないですが、「Diablo」は地下墓地の不気味さと音楽の不気味さ、人の悲鳴と血みどろ感。
    べちゃっ べちょっ・・というリアルな音にゾクゾクしました。
    他人と一緒にプレイしたいとは思わなかったのでオフラインの単独プレイでしたが、あのダークでゴシックホラーな世界観が大好きでした。
    「カワイイ」ももちろん好きですがある程度の残虐描写もアリなリアルキャラリアル背景な洋ゲーも結構好き。
    ・・というか「Diablo」みたいなゲームは今でも思い出すとゾクゾクします。

  15. 写実派と印象派の絵画を比べると印象派のほうが好きです、モネとか
    あんな絵を描いていた西洋が、どうして写実的なゲームばかりを追い求めるようになったんでしょうか

    話は変わりますが
    日本風な絵柄のゲームでいうと、「大神」がオススメです

  16. 余白に価値がないとするのが西洋だね。言葉で言い尽くす事はやめてほしい、沈思黙考したらいい😊

  17. 精密でリアルな絵を描けるのは技術的に本当に凄いことですが、リアルすぎると写真で良くない?と思ってしまいます。
    ファイナルファンタジーシリーズがどんどんリアルで迫力ある映像になっていきましたが、ゲームなんだから映像美よりゲーム性を高めてほしいという日本人ファンの意見をよく聞きます。映像美は映画で良いのです。
    FFの進化は日本ファンより海外製ゲームの傾向や海外ファンの意向を汲んでのことなのだろうと思います。海外の方は映像の中の登場人物を自分の手で操作できることに快感を感じるのかもしれませんね。神様目線みたいで。
    ゼルダの伝説風のタクトは独自の世界観で唯一無二ですよね。そしてギミックや謎解きが満載です。どうやったらこのダンジョンをクリアできるか、このボスを倒せるか、ゲームではそういうのを楽しみたい訳です。

    すごく個人的な話ですが、私がまだ子どもでゲームがまだドット絵の時代からずっと、ゲーム映像を見てプレイしながら脳内で補完した映像が実写映画のように流れていました。漫画や小説を読んでいるときも同じです。大学生のとき友人も同じ体験をしていたと聞きました。
    何となくですが、デフォルメされた絵や映像・ゲームはそうやって脳内で補完する余地を残してくれているような気がします。映像がリアルだと、目から入る映像と脳内の映像が一緒なので、ただ与えられているだけという気分になると言いますか……伝わるでしょうか。
    モノクロの水墨画を見て脳内で色彩を補完するとき、美人画を見てモデルの美女を想像するとき、人によって全く違うものを想像するでしょう。
    その想像の余地が欲しい人と、必要ない人がいるのかも知れません。

    あと日本では公的な場で大人として振る舞うことを前提に、プライベートでは他人に迷惑をかけたり法規範に反しなければ何してても干渉されないみたいなところがありますね。海外ではファッションから趣味から「大人」の枠に嵌まらないといけないように見えます。

  18. ジブリ作品でもCGを使い始めどんどんリアリティが増して来た所で、あえて崖の上のポニョで手描きへと原点回帰したのは、改めてアニメ映画の素晴らしさを再認識できて、良かったと思いました。どちらが良いとか悪いではなく、どちらも良いんですよね。最近の日本アニメは背景をリアリティある建物や風景にし、キャラクターを非現実的なものにする作品も多いですが、それらが聖地巡礼文化を生み出し、現実と非現実の狭間で上手く融合させてると思います。

  19. 任天堂のゲームは、メインターゲットをずっと小学生に見据えている、と昔聞いたように思います。

    確かN64?の頃に一度そうでない方向に行きかけて、色々と思う事があった末、原点回帰というか、そうなったとか。ただそれは子供騙しという事ではなくて、「一番見せたいものを散漫にならないように見せる」という方針を含んでいたのかも知れませんね。リアル調の絵を選ばなかったのはその手段の一つだったように自分には思えるのですが、それが結果として日本が育ててきた絵の方向性の伝統の一つを踏襲、という分析に繋がったのだとしたら、とても面白いです。

    見せたいもの以外を可能な限り削る、というワードで自分が思い出すのは、ICOとかワンダの巨像なのですが、もしタントリスさんがこれらをプレイした事があるなら、その感想も是非聞いてみたいです。

  20. クレヨンしんちゃんはアイコニックとして子供向けに見えるけど、本来は「成人向けギャグ漫画」のキャラクターなので扱いが難しいですね。大人向けギャグ漫画だけど分かりやすく下品なデザインにしないことが許容されており、それ故に表現の幅がものすごく広がるのが面白いところです。
    途中にラスボス出てきて笑いました。
    あと、「間(ま)の抜けた」です。間(ま)は日本の空間識やデザインに関する重要な概念ですので、覚えていただけると幸いです(「あいだ」とは意味が違います)。

  21. 日本はそれだけ「自由」なのだと思う。子どもの頃、「人に迷惑をかけない」という最低限の躾が施され社会化していれば、あとは自由だ。そのままでいい。(西洋のように)競争も警戒も押し付けもない。勿論、過分な装飾も虚栄も。比較したり、勝たなくていい。だからそこに、自意識や探求心が外ではなく内に向く「オタク」が許容され、それが世界の潜在的オタク性質を持つ人々を触発し、彼らを明るい場所に導いている。それは恐らく、一万年大きな戦さがなかった縄文時代があったからこそ醸成されたものだろうと推察する。私は、世界と日本が、このような「過去の日本」のようになってくれたらどんなにいいだろうと思う。

  22. 風タクは作り手の喜びを(勝手に)感じましたね。
    やれ!と言われてやる範囲を遥かに超えてた。
    まぁ、ブレワイもそうだけど…って言うか任天堂のゲームは全部そうかもww

  23. 西洋の女性は可愛いに罪悪感を覚えてるよね。もう11歳くらいから、可愛いじゃなくて強くてイケてる女性になるプレッシャーを感じてる子が大多数だ。それをやめて、可愛いを楽しむには日本文化を楽しんでいるという言い訳が必要なんだろうね。

  24. 人はいつまで経っても子どもの部分がある。けれど社会に揉まれあなたは大人なんだという刻印を押される。だけども子どもらしさが消えたわけではない。その閉じ込めで子どもらしさをゲームが思い出させてくれるから魅力に思うのだと思う。

  25. え、髪が短い頃のタントリスさんも かっこいいんですけど!
    「メタルギアソリッド2」は、政治や未来を示唆しているような なかなか興味深いものですね。
    何気にラスボスに「むいむいさん」が現れたところで笑いました。

  26. 日本でもその「カワイさ」を恥じることなく楽しめるようになったのは、ほんの20~30年の話だよ
    2000年以前はやっぱり目の大きなアニメ調のイラストは子供っぽいと思われてたし、大人(特に男性)がアニメグッズを持ち歩くなんて恥ずかしいことだった
    (少なくとも一人で楽しむもので表に堂々と出すような趣味ではなかった)