【無料会員記事】巨人ドラ1石塚裕惺が、ゲームセットまで貫いた素晴らしきルーティン

2019年まで中日2軍バッテリーコーチとして若手を育成してきた田村藤夫氏(65)が、ファームで目にとまった選手や期待の若手選手の現状をチェックする「田村藤夫のファームリポート」。今回は、巨人のルーキー、石塚裕惺内野手(19=花咲徳栄)を取り上げます。



プロ野球2025.06.26 06:00



































































































【連載211】<ファームリポート:イースタンリーグ・ヤクルト2-4巨人>◇6月15日◇戸田

巨人のドラフト1位の高卒ルーキー、石塚を見て強く印象に残った。願わくば、次もその次の試合も、その姿勢はずっと変わらないでいてほしいと感じた。

それを期待して戸田に行ったのではなく、まったくの偶然だった。6番ショートでスタメン出場の石塚を見て、ああ、この選手が巨人のドラフト1位だったなと、新鮮な思いでグラウンドに集中していた。

まず、打席に注目した。

3打数1安打2打点。第1打席は150キロの真っすぐに空振り三振。高卒でいきなり150キロの真っすぐは、まだまだ振り遅れている。それが率直な感想だった。それも内角だ。

細かく見て行くと、初球はスライダーを見送ってボール。2球目も内角真っすぐがボールでカウント2―0。バッティングカウントから、3球目は152キロの真っすぐをファウル。このファウルはタイミングは合ってなく、完全に差し込まれていた。

カウント2―1から、4球目も強い真っすぐを続けられてファウル。外寄りの152キロ。しかし、このファウルはバックネット一塁側への打球となり、さきほどのファウルよりもタイミングは改善されていた。スタンドから見ていた範囲では、ポイントを前にしたのかなと感じた。

そして最後も真っすぐを続けられて、果敢にスイングするも空振り三振。さきほども言ったが、まだ力負けしている。追い込まれて、真っすぐ待ちで真っすぐにまだ対応できない。これが今の石塚の実力だろうが、まずはプロのレベルを実戦の中で体感していくことが大切だ。


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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。


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