⚾ 高卒わずか3年“まさかの戦力外“あの有望DeNA選手…ファン疑問「なぜ引退したのか」取材を断っていた田部隼人が初めて語る“本当の理由”🧢   かつてプロ野球界ではこんな定説があった。

信頼のおける人々に自分の偽らざる思いを吐露した。実力を認め、「DeNAに残らないにしても、トライアウトは受験したほうがいい」と勧める者も少なくなかった。それでも、宮崎に乗り込んだ当初に湧き上がっていた来季への活力は戻ってこなかった。

 スポーツ界でしばしば使われる「心技体」。非常に的を射た言葉である。

 3つの要素のどれかが欠けると、アスリートは力を発揮することはできない。磨かれた技術も、鍛え抜かれたフィジカルも、心がたぎらなければ生きてこない。

 心技体の「心」が大きく削がれてしまった以上、DeNAに残留して再び支配下選手を目指す未来も、「自分のような実績のないプロ野球選手にとってはギャンブルのようなもの」というトライアウトで移籍先を勝ち取る未来も描けなかった。

 引退直後、複数のメディアから取材を打診されたが、「今は自分の感情を上手く伝えられない。自分の本音を隠したまま話すことで、間違った情報がファンの方や色々な方に伝わるのに抵抗があった」と、すべて断ってきた。

 あれから約1年の月日が経った今、故郷の島根県松江市で、田部と会うことができた。

一軍デビューした“高卒3年目”オフにまさか…
 その知らせは突然だった。

 2022年10月某日。「みやざきフェニックス・リーグ」の試合を終えて宿舎に戻ると、二軍の統括マネージャーに呼び出された。「来季からは支配下選手としての契約は結ばない。育成での再契約になる」。もちろん、田部も通告の可能性がゼロだと思っていたわけではない。これまでも、志半ばで球界を去る先輩たちを見ていたし、ドラフト同期で同じく高卒入団の浅田将汰も、このオフに戦力外通告を受けたことも聞いていた。

 それでも、簡単に飲み込めなかったのには、いくつか理由があった。

 まず、宮崎にいたこと。ファームの全日程終了後に行われるフェニックス・リーグは、若手選手に追加の実戦機会を与える場だ。実戦を通じて、来季に向けた課題をあぶり出す“教育リーグ”とされている。

 球団が指定した選手のみが参加するリーグであり、南国での武者修行は、事実上の契約延長を意味していた。それだけに、「フェニックスに呼ばれたのになぜ?」という感情が芽生えた。

 さらに、プロ3年目は、田部にとって大きな飛躍の年でもあった。

 2年目は打率.185に低迷。シーズン中から「何かを変えないといけない」と肉体改造に着手した。ウエイトトレーニングと食事量を増やし、21年の年末には、体重90キロにまで到達。ビルドアップに成功した。その後、「クワさん」と慕う桑原将志の自主トレに参加し、キャンプに入る前の最終調整を進めた。田部が振り返る。

「クワさんの自主トレって、かなり走るんですよ。体重を90キロまで増やした後に走り込んで、自然と87~88キロぐらいになって。過去にないぐらい、めちゃくちゃいい状態でキャンプに入れました。キャンプが始まっても、今までにないくらいバットが強く振れて、バンバン(スタンドに)放り込める。『これはやれる』と思えました」

4年目に向けて“やるべきこと”も見えていた…
 22年シーズン開幕間もない4月6日には、初の一軍昇格をつかみ、同日の阪神戦延長10回に、代打で一軍初打席を経験した。体調不良の選手に代わっての昇格で、本人は「運もありました」と謙遜するものの、オフに肉体改造を成功させ、キャンプからシーズンインまで好調をキープしていたことが最大の要因だったのは間違いない。

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