三好匠, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2469190 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#九州国際大学付属高等学校出身の野球選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#野球日本代表選手
#北九州市出身の人物
#1993年生
#存命人物
三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 – )は、福岡県北九州市戸畑区出身のプロ野球選手。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
北九州市立大谷中学校時代は軟式野球部に所属していた。
九州国際大付高校への進学後は、1年夏から外野手として第91回全国高等学校野球選手権大会に福岡県代表として出場。
2年秋からは投手を兼任する。
3年春の第83回選抜高等学校野球大会では、エースとして髙城俊人とバッテリーを組み5試合全てを一人で投げ抜き準優勝に輝いた。
また、打撃でも2本塁打を放った。
同年の夏の甲子園では、初戦となった2回戦で岡山県代表の関西高校に延長12回の末2-3でサヨナラ負けを喫した。
甲子園通算成績は56回、防御率2.73、38奪三振。
野手としては9試合で打率.303、2本塁打。
野球部の同期には児玉龍也、1学年先輩には榎本葵、2学年先輩には河野元貴、1学年後輩には古長拓がいる。
2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目指名を受け、契約金4,000万円、年俸600万円で契約を合意。
背番号は2。
投手としての指名だったが、入団と同時に、内野手への転向と遊撃手への挑戦を表明した。
楽天時代 2013年7月18日、こまちスタジアムにて 2012年は体格と守備力の強化に専念すべく、二軍生活に終始した。
イースタン・リーグ公式戦では、遊撃手・二塁手・三塁手として58試合に出場。
故障で一時戦線を離脱したが、打率.250、4本塁打を記録した。
2013年はイースタン・リーグの前半戦で打率.276、2本塁打、20打点を記録するほどの好調を買われて、7月にプロ入り後初めて一軍に昇格。
7月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)8回裏に、遊撃手として一軍デビューを果たした。
また、フレッシュオールスターゲームに出場を予定していたチームメイトの西田哲朗が故障で出場を辞退したため、代替選手として出場した。
2014年は9月29日にシーズン初の一軍昇格。
10月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、一軍初のスタメンに起用されると、吉川光夫からの二塁打で一軍初安打を記録した。
イースタン・リーグ公式戦では13本塁打、60打点(いずれもリーグ3位)を記録するとともに、同リーグの優秀選手賞を受賞した。
シーズン終了後に開かれた第1回U-21野球ワールドカップには、日本代表のメンバーとして出場。
主に三塁手として活躍した。
2015年は一軍の主力野手が相次いで故障や不振に見舞われるというチーム状況の下で、6月12日にシーズン初の出場選手登録。
6月21日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に「9番・三塁手」としてスタメンに起用されると、2回裏の打席に、大嶺祐太からの安打で一軍初打点を記録した。
一軍公式戦全体では、9試合の出場で打率.207にとどまったが、二塁打と三塁打を初めて放った。
オフに背番号を57へ変更。
2016年は藤田一也の故障で4月13日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦1試合に出場しただけで、いったん登録を抹消された。
7月12日にシーズン3度目の出場選手登録。
7月23日の対ロッテ戦で関谷亮太から一軍初本塁打を放つと、7月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(いずれも楽天Koboスタジアム宮城)で一軍初の猛打賞を記録した。
以降は、シーズン終了まで一軍に帯同。
一軍公式戦には、自己最多の38試合に出場するとともに、3本塁打、6打点という成績を残した。
オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出され、10月22日に代表主将に就任。
チームは優勝し金メダルを獲得している。
楽天時代 (2016年 さいたま市営浦和球場にて) 2017年は開幕から一軍に帯同し、ほぼ途中出場ながら5月終了時点で20打数9安打と打撃好調であった。
茂木栄五郎が離脱すると、打撃の調子は崩しつつも7月にかけて一時期ながら遊撃手に定着した。
しかし、7月末から新外国人のルイス・クルーズが起用されるようになると出場機会が減少し、8月4日に自打球で左足甲を骨折したため、残りのシーズンを全て棒に振った。
オフに背番号を24へ変更。
2019年7月2日に下水流…

WACOCA: People, Life, Style.

Exit mobile version