一岡竜司

一岡竜司, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2457001 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#藤蔭高等学校出身の人物
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#福岡県出身の人物
#1991年生
#存命人物
一岡 竜司(いちおか りゅうじ、1991年1月11日 – )は、福岡県糸島市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
糸島市立前原西中学校時代は糸島イーグルス(ポニー)でプレイ。
大分県の藤蔭高等学校に進学後、2年時の秋にひじを壊し、3年時は登板がなかった。
大学や社会人から声が掛からず、専門学校コンピュータ教育学院の野球部にセレクションを経て入学。
1年時の2009年から公式戦に登板し実績を重ね、体重が20kg増え、球速も15km/hアップした。
2年時の2010年、第40回JABA徳山(スポニチ)大会では同チームの優勝に貢献し、自身は登板した2試合で完封勝ちを収め最高殊勲選手賞を受賞した。
3年時の2011年、第82回都市対抗野球大会の予選では、九州2次予選の初戦の対鹿児島ホワイトウェーブ戦で5安打完封勝利を挙げ11奪三振を記録した。
2回戦の対九州三菱自動車戦では、9回3安打2失点と好投するも1-2で敗戦。
大会後、JR九州の補強選手に選出され、1回戦の対JR東海戦に先発。
3回0/3を4安打2失点と粘りの投球を見せるも敗戦投手となった。
同年10月27日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けて入団。
2012年は4月6日に一軍登録されるも定着に至らず。
シーズン序盤は二軍で抑えを務め、6月のイースタン・リーグMVPを受賞した。
2013年も二軍で抑えを務め、二軍成績は35登板で32回2/3を投げ15セーブ、42三振、防御率1.10であった。
シーズン途中には一軍に昇格し、前年を上回る9試合に登板。
オフにはプエルトリコ・ウインターリーグに江柄子裕樹とともに派遣され、3試合に先発登板し、2勝0敗、防御率1.62を記録したが、右足首捻挫のため予定より早い11月30日に帰国した。
12月25日にFAで巨人へ移籍した大竹寛の人的補償として広島東洋カープへの移籍が発表され、2014年1月7日にNPBから公示された。
2014年は、開幕一軍入りを果たし、3月29日の対中日ドラゴンズ戦では初ホールドを記録。
シーズン13試合目の登板となった4月27日の対巨人戦では、延長11回表に登板し、1回を無失点に抑えた。
その裏、ブラッド・エルドレッドが山口鉄也からレフトスタンドにサヨナラ3ランを放ってプロ初勝利を記録し、ヒーローインタビューでは故郷の博多弁で喜びを爆発させた。
2014年5月25日、マツダスタジアムでの埼玉西武ライオンズ戦で2点リードの9回に登板し、1回を2奪三振、被安打1、無失点に抑えてプロ初セーブを挙げた。
「この日が来るのを夢見ていました。これからもスーパーサブで回れたらいいなと思います」と満面の笑みで語った。
その後勝ちパターンのリリーフとして安定した成績を残し、23試合登板した時点で防御率0.78を記録していたが、右肩痛を発症し一軍登録を抹消された。
8月に戦線復帰したものの再度右肩痛で抹消されてその後一軍での登板はなかった。
移籍1年目のシーズンは31試合に登板し防御率0.58の好成績を収めたことが評価され、契約更改では1350万円増(1050万円→2400万円 いずれも推定)の大幅な年俸アップになった。
2015年は開幕一軍メンバーに選ばれるが、4月3日の中日戦(ナゴヤドーム)でサヨナラ打を浴びプロ初黒星を喫した。
5月20日の中日戦(豊橋市民球場)では移籍後ワーストの4失点を喫し、5月21日に登録を抹消された。
その後8月2日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で7回裏に登板し無失点に抑え、8回表にライネル・ロサリオの2ランで逆転し、シーズン初勝利。
8月7日の巨人戦(東京ドーム)では延長12回裏に危険球退場した中﨑翔太に代わって登板し、シーズン初セーブ(通算3セーブ目)を挙げた。
2016年は怪我で出遅れ、一軍登板が6月の半ばであった。
一軍復帰後は安定した投球をしていたが7月25日に右腕の検査のため二軍落ち。
8月に復帰後は再び安定した投球を見せチームのリーグ優勝及び日本シリーズ出場に貢献した。
しかし日本シリーズでは登板機会に恵まれなかった。
2017年は開幕には間に合わなかったが、4月後半に一軍に昇格。
自己最多の59試合に登板し6勝19ホールド、防御率1.85の成績を残…

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