【ドラフト会議 1980】大豊作の昭和55年ドラフト。目玉の原辰徳の高校時代の映像から1年目の活躍!石毛宏典(西武)愛甲猛(ロッテ)の入団当時の様子や他の選手も振り返ってみた!

ドラフト史上屈指の豊作の年が1980年ドラフト会議。その中でも、特に注目を集めていたのが、原辰徳(東海大)、石毛宏典(プリンスホテル)、竹本由紀夫(新日鉄室蘭)の三人だった。

原辰徳は、広島、巨人、大洋、日本ハムの四球団が1位指名し、藤田監督が引当て巨人へ入団。当時藤田監督は、前日に爪を深爪して取ろうと思った封筒が取れなくて、取った封筒が当たりだったとか?そんな話もあった。

石毛宏典は、市立銚子高~駒沢大~プリンスホテル。高校時代にロッテに6位指名されるも、これを拒否し、駒沢大へ進学。大学では4年秋にリーグ首位打者になり、有力なドラフト候補となるも、同年秋に産声出来たばかりのプリンスホテル野球部へ入社。西武以外だったら残留と言われていたが、阪急との抽選で見事に西武が引き当てた。

甲子園優勝投手の愛甲猛は、地元大洋が希望だったがロッテに指名されいやな顔をするもののロッテに入団。野手として成功。

他にも、川口和久(広島1位)山内和宏(南海1位)中尾孝義(中日1位)
大石大二郎(近鉄2位)駒田徳広(巨人2位)高木豊(大洋3位)などホント豊作な年だった。

当時ロッテをイヤがった愛甲も後に小池がロッテ1位を拒否した時に、怒っていたことは凄く印象的だ。また嫌がられていたロッテも後には藤岡貴裕が1位指名され抽選でロッテに決まった時のうれし涙には時代が変わったな~そう思ったものだ。

28 Comments

  1. 今は、12球団OKで、パ・リーグにも入団してくれるが、 1980年ドラフト 当時は
    パ・リーグはいやだと言う選手もいて、 原辰徳石毛宏典 は希望球団に抽選の末に引き当てられるのはやはりスターは何か持ってるんだろうか?そう思ったもんだ。動画を見ての感想や今選手の現役時代ってどう?などのリクエストもいただけるとうれしいです^^

  2. 原監督の母校東海大学の不祥事とても残念です。
    野球って何でも連帯責任になっちゃうけど
    個人の処分だけでチームとしては普通に活動しちゃいけないのかな?って思います

    いよいよ2020ドラフト会議。最近は12球団OKって選手多いし
    むしろパリーグのほうが人気あったりしますよね。今から楽しみです

  3. 確かに松井秀喜も巨人に入団したのもスターは生まれもって運も引き当てる引きの強さを持っているのではと思っちゃいますね。野茂は入団から化け物みたいな活躍をしているからどこの球団でも成績を残せたと思いますが、それも監督が引き当てる監督の引きの強さも感じられます。
    小池はドラフト直前で肩を壊してしまい評価ががた落ちじゃなかったかな?その後活躍はされましたが肩を壊す前とは全く違うスタイルになりましたね。

  4. この年一番成功したのは西武。1位の石毛はもとより、2位岡村隆則はサイクル安打も記録した好打者。3位は左腕の杉本正、西武ではシーズン12勝、のちに中日に移籍しシーズン13勝。4位は安部理、秋山、清原のあとの5番打者で巧みなバットコントロールでリーグ優勝を支えました。

  5. 55年新人は石毛が一番よかったw西武黄金期の1番か6番を打っていた石毛はしぶといバッターで日本シリーズとかでチャンスに強いイメージでしたね

  6. 石毛サン指名した阪急に嫌がらせ!?の外れ1位投手をプリンスホテル入り。しかし日本ハムは原サン外した1位指名投手まで何故に目をつけてプリンスホテル入り? 伊東勤サンまで早めに囲い込んだ獅子チーム。

  7. 東海大学相模の一年生からスター街頭のエリート。
    81年新人王、83年MVPと順調なプロ生活を送り、ON亡き後の4番を張りました。
    監督としてもリーグ優勝8回、日本一3回、WBC世界一と栄光に包まれた野球人生を送りました。
    殿堂入りは当確です。
    父原貢は甲子園2校(三池工業、東海大学相模)を全国制覇。甥っ子の菅野智之は100勝、最優秀防御率4回、最多勝2回、沢村賞2回と大活躍。
    凄いDNAです。

  8. 1981年入団ベストナイン
    投手   川口和久
    捕手   中尾孝義
    一塁手  駒田徳広
    二塁手  大石大二郎
    三塁手  原辰徳
    遊撃手  石毛宏典
    左翼手  安部理
    中堅手  秋山幸二
    右翼手  愛甲猛
    指名打者 高木豊

  9. 他にも、近鉄の1位指名の石本貴昭や阪神の2位指名の渡真利克則が活動していましたね。

  10. 昔市川市で早起き野球をしていた時、この時のドラフト一位が、かつて同じリーグに所属していたらしい。「ドラフト一位が?プロでエースになる人が?」って驚いたけど、ちょっと参加したことあるのを「在籍」なんてしたのかな?確か肉屋さんのチームでした。

  11. まあ 素晴らしい年ですね

    しかし 何故ロッテ不人気だったんだろ?
    川口投手も一度ロッテの指名拒否してノンプロ入りしたはず

    愛甲選手 もう少し活躍できると思ったがなぁ

  12. 原が1位でジャイアンツ入札決まった直後、あのヨコハマたそがれの山口洋子さんが、ハンサムすぎる原くんが心配なの!長嶋茂雄、王貞治とも顔はいいけど、原はスポーツ選手としてはちょっと、と今では見る目がすごい女性でしたね。

  13. この石毛と原二人が揃ったアマ全日本チームをもってしても日本で開催された世界選手権でキューバのビネン投手に手も足も出ませんでした。日本のプロで投げさせてみたかったです!ちなみに中尾捕手は全日本チームでは佐竹(日本生命)捕手の控えでした。

  14. 原はデビュー当時からきれいな放物線を描くホームランが印象的でした。現役晩年は「芸術的な3塁ポップフライ」とまで言われてましたけど。
    石毛は西武系プリンスホテルからライオンズへの入団で、当時小学生の私の周りですら「闇」が噂されてました。ですので引退までキナ臭いイメージが抜けなかったですね。
    愛甲は高校時代から地元のヤンキーからも一目置かれる存在で「愛甲さんにだけは手を出すな」というのが連中の鉄の掟だったらしいですね。

  15. 愛甲さんと小池さんは後に中日で一緒にプレーしましたよね。殴ったのかな?

  16. 原氏は、確かに長きに渡り4番を任されたものの、打率が今ひとつ物足りなかった気がします。
    石毛氏は、チャンスメイクするなど、西武の黄金期を支えた活躍をしました。
    愛甲氏に至っては、言動も宜しくなく、試合でも打者転向後に3番を任されたものの、チャンスに弱くタイトルとは程遠かったですね。

  17. 今の阪神の佐藤や横浜の牧と比べても遜色ない!やはり原監督って凄い選手だったんだな!

  18. この年、近鉄は兵庫県の滝川高校から石本貴昭投手をドラ1で獲得し、翌年も兵庫の報徳学園から金村義明投手を指名し、2年連続で甲子園で活躍した兵庫県の投手を獲得しました。この滝川高校は、中日1位指名の中尾捕手も同校出身で、
    翌年巨人に指名されることになる村田真一捕手もいました。その後、中尾捕手は巨人にトレードされ、村田捕手とチームメイトになります。

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