加藤貴之 (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3314250 / CC BY SA 3.0

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#日本のアジア競技大会銅メダリスト
#日本製鉄かずさマジック及びその前身チームの選手
#北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手
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#1992年生
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加藤 貴之 (かとう たかゆき、1992年6月3日 – )は、千葉県南房総市出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
北海道日本ハムファイターズ所属。
小学校2年から白浜ブルーホークスで野球を始め、5年から投手。
白浜中では軟式野球部に所属していた。
拓殖大学紅陵高等学校へ進学すると2年春からベンチ入りを果たす。
2年夏は主力投手として活躍したが、決勝戦で八千代東戦に先発するも3回途中4失点で降板し、チームも敗退した。
3年夏は4回戦で山下斐紹、福田将儀擁する習志野戦で敗退し、甲子園出場はならなかった。
2011年に日本製鉄かずさマジックに入社した(所属は日鉄住金ビジネスサービス千葉)。
鈴木秀範監督の方針で入社当初は内野手(一塁)として野球を覚えていく中で打撃投手などを務め、入社2年目の夏に投手へ再転向。
3年目は岡本健と共に主戦投手となり、2013年の都市対抗ではリリーフとして2000年以来13年ぶりのベスト4進出に貢献すると、日本選手権でもリリーフとして活躍し、チームの同大会初優勝に貢献した。
岡本が福岡ソフトバンクホークスからドラフト3位指名を受け退社した4年目からはチームのエースを務め、2014年の都市対抗では2回戦の永和商事ウイング戦に先発すると7回無失点の好投を見せた。
続く東京ガス戦では2点リードの場面で8回からマウンドに上がるも、遠藤一星に適時打を打たれ送球が乱れている間に同点に追いつかれ、9回にサヨナラ負けを喫した。
9月には仁川アジア大会の日本代表にも選ばれ、ドラフト上位候補にも名前が挙がったが、夏に痛めた左肘の状態や「まだ会社に貢献していない」と考え残留を決断した。
入社5年目、2015年3月のスポニチ大会では5回11安打6失点でノックアウトされるなど不調が続き、6月の都市対抗予選ではチームは本選出場を逃し、自身も補強選手に選ばれないなど苦しいシーズンとなったが、10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに2巡目で指名された。
その後行われた日本選手権では2回戦の日本新薬戦で先発し、7回まで1失点に抑えていたが8回に3点を失い、後続も打たれ敗れた。
11月12日に契約金7,000万円、年俸1,200万円で入団合意した。
2016年は中継ぎとして開幕一軍入り、3月26日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板を果たし、以降も中継ぎとして登板していたが、有原航平が故障で離脱すると緊急措置で配置転換となりスターターとしての調整も不十分な中、4月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初先発。
1回2/3を投げ3失点でノックアウトされたものの、同16日のロッテ戦では6回4安打4奪三振無失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。
この勝利は2016年度のパ・リーグ新人最速の初勝利となった。
その後は中継ぎに戻るも5月5日のソフトバンク戦で3度目の先発登板と流動的な起用が続いた。
6月2日の東京ヤクルトスワローズ戦では先発登板するも打球が左すねに直撃し負傷降板、翌3日に登録抹消となったが、6月14日に一軍復帰。
復帰後はしばらく中継ぎ起用が続き7月10日のロッテ戦ではプロ初ホールドを挙げたが、大谷翔平が指のまめの影響で先発登板を回避し代役として7月24日のオリックス・バファローズ戦に先発すると以降は先発へ完全転向し、優勝争いをするチームの先発ローテーションの一角を担った。
レギュラーシーズンでは様々な起用法に応え、30試合(16先発)の登板で7勝3敗1ホールド・防御率3.45を記録しリーグ優勝に貢献。
チームはその後も勝ち上がり日本一となったが、加藤自身はポストシーズンで思うような投球ができなかった。
オフに倍増となる推定年俸2,600万円で契約を更改した。
2017年は初の開幕ローテーション入りを果たし、春先は17イニング連続無失点を記録するなど好調であったが、5月10日の埼玉西武ライオンズ戦で3勝目を挙げて以降は白星から遠ざかり、7月5日に登録抹消となった。
8月3日に一軍再昇格となり、同日のロッテ戦で5回無失点と好投するとその後は復調し先発ローテーションを守った。
この年は21試合全てに先発登板して6勝6敗・防御率3.53という成績を残し、オフ…

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