戸根千明, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3119003 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#石見智翠館高等学校出身の人物
#日本大学硬式野球部の選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#フィリピン系日本人
#京都府出身の人物
#1992年生
#存命人物
戸根 千明(とね ちあき、1992年10月17日 – )は、京都府綴喜郡田辺町(現在の京田辺市)出身のプロ野球選手(投手)。
読売ジャイアンツ所属。
2020年シーズンの後半には、投手登録のまま外野手としてイースタン・リーグの公式戦に出場していたが、2021年から投手へ再び専念している(詳細後述)。
妻は、ローカルアイドル(Niimoのメンバー)として活動していた佐々木舞夕(ささき まゆ)。
フィリピン系日本人(母親がフィリピン人)である。
京田辺市立田辺中学校在学中は、南京都NSボーイズでプレー。
島根県の江の川高等学校に進学してからは、1年時夏の全国高等学校野球選手権島根大会からベンチ入りを果たした。
校名が石見智翠館高校に変更された2年時からエースの座をつかんだものの、春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁のまま、日本大学へ進学した。
日本大学では、1年時の春から東都大学野球のリーグ戦に登板。
リーグ戦通算で12勝14敗、防御率1.71という成績を残した。
2014年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツから2巡目で指名。
契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は50。
2015年には、オープン戦で好成績を残したことを背景に、レギュラーシーズンの開幕から一軍に帯同。
3月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(東京ドーム)で、公式戦デビューを果たした。
その後も、山口鉄也やスコット・マシソンにつなぐ中継ぎでの登板が主体であった。
9月12日の同カードで一軍公式戦初勝利を挙げた。
最終的に、46試合登板、1勝1敗1セーブ5ホールド、防御率2.88を記録。
オフに、1050万円増となる推定年俸2250万円という条件で契約を更改した。
2016年には、春季キャンプ中の2月21日に、野球日本代表による台湾代表との強化試合(3月5・6日に京セラドーム大阪で開催)に向けた日本代表チームのメンバーへ追加登録。
6日の第2戦で6回裏に登板すると、1イニングを三者凡退に抑えた。
シーズン中は、前年に続いて、中継ぎ主体の起用で一軍公式戦42試合登板、1勝0敗1セーブ5ホールド、防御率4.50を記録。
オフに、250万増となる推定年俸2500万円という条件で契約を更改した。
2017年には、シーズンを通じて不調だったが、二軍のイースタン・リーグ公式戦では42試合の登板でリーグ最多の18セーブを記録。
一軍ではチームのレギュラーシーズン最終戦でこの年唯一の白星を記録したものの、わずか6試合の登板に終わった。
オフに、500万円減となる推定年俸2000万円という条件で契約を更改。
2018年には、一軍の春季キャンプに参加していたが、終盤にA型インフルエンザウイルスへ感染。
その影響で調整が遅れたほか、左肘のコンディション不良に見舞われ、入団後初めて一軍公式戦への登板機会がなかった。
オフに、500万円減となる推定年俸1500万円という条件で契約を更改した。
2019年には、オープン戦期間中の3月18日に、MLBの開幕2連戦に向けて来日していたシアトル・マリナーズとのプレシーズンゲーム(いずれも東京ドーム)4回表一死二・三塁から登板。
後に開幕第2戦で現役引退を表明するイチローから三振を奪ったほか、2番からの打順で迎えた5回表を三者凡退に抑えるなど、1回2/3を無失点で凌いだ。
そのままレギュラーシーズンの開幕を一軍で迎えると、一軍公式戦26試合の登板で8ホールドと防御率1.99を記録した。
しかし、通算投球イニング22回2/3で20四死球を出すなど、制球面で課題を露呈した。
さらに、5月に右脇腹痛、8月には左肘内側の痛みを訴えるなど、戦線を頻繁に離脱。
9月19日に左肘遊離軟骨の除去手術(左肘のクリーニング手術)を受け、以降はリハビリに専念した。
オフに、500万円増となる推定年俸2000万円という条件で契約を更改。
2020年には、レギュラーシーズン開幕直前の6月6日に行われた練習試合で右ふくらはぎの張りを訴えた。
その影響で開幕一軍入りを逃し、開幕後はイースタン・リーグの公式戦にも登板しなかった。
開幕翌月の7月中旬からは、投手登録のまま、三軍で投打の二刀流に挑戦。
9月下旬からは、三軍の練習試合に指名打者や外野手として出場した。
同月23日に…

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