スコット・ダウンズ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1002800 / CC BY SA 3.0

#アメリカ合衆国の野球選手
#ケンタッキー大学出身の野球選手
#シカゴ・カブスの選手
#モントリオール・エクスポズの選手
#トロント・ブルージェイズの選手
#ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの選手
#アトランタ・ブレーブスの選手
#シカゴ・ホワイトソックスの選手
#カンザスシティ・ロイヤルズの選手
#ルイビル出身の人物
スコット・ジェレミー・ダウンズ(Scott Jeremy Downs, 1976年3月17日 – )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身の元プロ野球選手(投手)。
左投左打。
1994年のMLBドラフト12巡目(全体342位)で指名されるも拒否。
ケンタッキー大学時代は「ベースボール・アメリカ」のオール・アメリカンに選出された。
1997年のMLBドラフト3巡目(全体94位)でシカゴ・カブスから指名され、6月18日に入団。
1998年11月3日にトレードで、ミネソタ・ツインズへ移籍した。
1999年5月21日にカイル・ローシュ、ジェイソン・ライアンとのトレードで、リック・アギレラと共にカブスへ移籍した。
2000年4月9日のシンシナティ・レッズ戦でメジャー初登板を果たした(結果は6.1回で3失点)。
2試合目の登板ではメジャー初勝利もマークするが、その後は簡単には勝たせてもらえず、19試合で4勝3敗だった。
2000年7月31日にロンデル・ホワイトとのトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した。
エクスポズには2004年までの5年間所属したが、2001年と2002年はメジャーでの登板すらなく、5年間で14試合にしか出場出来なかった。
2004年11月29日に放出された。
2004年12月16日にトロント・ブルージェイズと契約。
2005年は先発13試合を含む26試合に登板し、防御率4.31とまずまずの働きを見せた。
2006年はさらに安定感が増し、59試合に登板。
6勝を挙げた。
2007年は左のワンポイントとしてリーグ最多の81試合に登板し、防御率2.17を記録。
2008年はセットアッパーを務め、66試合に登板して防御率は1.78と、2年連続で高レベルの成績を残し、リーグを代表する左の救援投手へと成長した。
2009年も前年に引き続きセットアッパーとしてスタートしたが、守護神B・J・ライアンが絶不調でクローザー失格となり、ダウンズがクローザーに昇格した。
シーズンでは2度の故障者リスト (DL) 入りを経験。
2010年11月1日にFAとなった。
2010年12月10日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと3年契約を結んだ。
2012年はジョーダン・ウォルデンからクローザーの座を奪う。
2013年7月29日、コーリー・ラスムスとのトレードで、アトランタ・ブレーブスに移籍する。
10月31日にFAとなった。
2013年12月20日にシカゴ・ホワイトソックスと1年375万ドルで契約に合意したことを報道された。
2014年1月2日に球団が入団を発表した。
開幕ロースター入りし、リリーフとして38試合に登板したが、防御率6.08と安定せず、6月26日にDFAとなり、7月3日に放出された。
2014年7月6日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。
移籍後は12試合に登板したが、8月12日に首の故障で15日間の故障者リスト入りし、8月28日に復帰。
当時チームはタイガースとの地区優勝争いの真っ只中ため、復帰後は5試合の登板にとどまった。
この年は17試合に登板し、0勝2敗、防御率3.14だった。
オフの10月30日にFAとなった。
2014年12月20日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。
2015年3月30日に自由契約となり、引退している。
各球種を低めに集める、ゴロ系の投手。
球種は、90マイル台前半の速球・大きく変化するカーブ・スライダー。

WACOCA: People, Life, Style.

Exit mobile version