山下斐紹, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2223884 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#習志野市立習志野高等学校出身の野球選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#ブリスベン・バンディッツの選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#札幌市出身の人物
#1992年生
#存命人物
山下 斐紹(やました あやつぐ、1992年11月16日 – )は、北海道札幌市西区出身のプロ野球選手(捕手、一塁手、外野手・育成選手)。
右投左打。
中日ドラゴンズ所属。
北海道札幌市西区で生まれた。
5歳の頃に家族と千葉県千葉市美浜区に転居し、6歳の時に4歳上の兄・貴将の影響を受け小学校で投手として野球を始めた。
磯辺シーグルスに所属し、最初は右打ちだったが、4年生時に足の速さを生かすため左打ちへ転向した。
千葉市立磯辺第二中学校(現・千葉市立磯辺中学校)に進学して硬式野球の千葉西シニアに所属。
野手に転向して外野手を中心にプレーした。
習志野高進学後に、捕手に転向。
1年夏からベンチ入りし、秋からはレギュラーに定着。
秋季関東大会は準優勝。
2年時の春には第81回選抜高等学校野球大会に出場した。
チームは2回戦で敗退。
2試合で5打数2安打1打点だった。
夏の千葉大会はベスト4。
秋からは主将を務め、3年時の春は県大会を制し、関東大会で準優勝した。
夏の千葉県大会では準決勝でこの年の甲子園出場校成田高校と対戦。
適時打を打つが、相手エースの中川諒に2三振、3-4で敗れた。
この大会では2本塁打を含む16打数10安打と活躍した。
2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスが1位指名。
背番号は「22」。
福岡ソフトバンクホークス時代(2013年) 同上(福岡 ヤフオク!ドームにて) 2011年7月25日に富山市民球場アルペンスタジアムで開催されたフレッシュオールスターゲームに選出され、4回表から松井雅人に代わり捕手として出場した。
8月25日の試合前のシートノック中に送球が右目付近に当たり担架で運ばれたが、福岡市内の病院で検査の結果、打撲と診断された。
一軍のリーグ優勝決定後、10月4日に初の一軍昇格、3日間ベンチ入りしたが出場機会はなかった。
二軍では82試合に出場し、50試合先発マスクを経験し、4本塁打。
オフはオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、11月4日から12月7日まで16試合の出場で53打数18安打、打率.340、OPS.868、規定打席未到達ながら打率はチームトップだった。
2012年は、春季キャンプで寝坊による遅刻で二軍行きとなり、シーズンを通して公式戦出場はなかった。
オフには11月24日から12月22日まで行われた台湾のウィンターリーグに派遣され11試合に出場した。
2013年4月4日のウエスタン・リーグ対オリックス・バファローズ戦でランニングホームランを放った。
5月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦で4回二死一塁から細川亨の代打として公式戦初出場し、左飛だった。
5回からそのまま捕手の守備に就き、7回の2打席目でプロ初安打・本拠地福岡 ヤフオク!ドームでの初安打、江尻慎太郎、二保旭、金澤健人をリードし、5イニングを2失点だった。
5月7日に一旦抹消となったが、以降4回昇格。
6月25日東京ドームで行われた対北海道日本ハムファイターズ戦で9番捕手として初の先発出場を果たすと、3回にブライアン・ウルフからファーストへの内野安打で出塁し、内川聖一の逆転タイムリーヒットで生還、プロ初得点を記録した。
守っては先発の山田大樹をリードし、初回にミチェル・アブレイユに先制タイムリー二塁打を打たれたものの、5イニングを1失点に抑え、1点リードしたまま山崎勝己へバトンタッチした。
6月30日QVCマリンフィールドで行われた対千葉ロッテ戦で3回の守備から捕手で出場、2打席連続で安打を放ち、プロ初となるマルチ安打を家族の住む地元で記録した。
7月18日秋田こまちスタジアムで行われたフレッシュオールスターに自身2度目の選出、4番捕手として先発出場したが2打席凡退だった。
守っては先発の東浜巨をリードし16球全て直球勝負で2回を無失点に抑え、続く岩本輝、金田和之、戸田隆矢と組んでイースタン・リーグ選抜打線を9者連続の凡退に打ち取り、5回を無失点に抑えて交代した。
一軍では11試合出場し、2試合先発マスクを被った。
二軍では先発マスクを61試合被り、自己最高の打率.256、5本塁打、7盗塁を記録したが、2011年以降3年連続となるウエスタン・リーグ最多捕逸、捕手最多失策も記録した。
10月6日ファーム日本選手権に…
WACOCA: People, Life, Style.