セルジオ・サントス (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2484972 / CC BY SA 3.0
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セルジオ・ホセ・サントス(Sergio Jose Santos, 1983年7月4日 – )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ベルフラワー出身の元プロ野球選手(投手)。
右投右打。
遊撃手時代のサントス(2008年) カリフォルニア州ベルフラワーでメキシコ移民2世として生まれる。
2002年のMLBドラフト1巡目(全体27位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名され、入団。
2005年にミゲル・バティスタ、オーランド・ハドソンとのトレードで、トロイ・グロースと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した。
2008年のシーズン途中にウェイバー公示され、ミネソタ・ツインズに移籍。
2009年はシカゴ・ホワイトソックスと契約し、遊撃手から投手に転向した。
2010年は開幕ロースターに入り、4月8日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。
この年は56試合に登板し、防御率2.96(FIP3.10)という成績を残した。
2011年は開幕から16試合連続無失点と好スタート。
4月下旬からは不振のマット・ソーントンに代わってクローザーを務め、最終的に30セーブを記録した。
防御率は3.55と前年を下回ったが、FIPは2.87と向上した。
奪三振率13.07は60イニング以上投げた投手ではデビッド・ロバートソンに次いで二番目に高い数字だった。
この活躍が評価され、9月30日に3年825万ドル(オプションも含めると最大で6年3100万ドル)で契約を延長。
しかし、ホワイトソックスはオフに本格的なチーム再建に着手した。
2011年12月6日にネスター・モリーナとの交換でトロント・ブルージェイズに移籍した。
2012年は4月21日に肩の炎症で故障者リスト入りし、7月15日に手術を受けてシーズンを終えることが発表された。
移籍初年度は僅か6試合の登板に終わってしまった。
2013年は開幕ロースター入りしたが、開幕後に三頭筋を故障し、4月15日に15日間の故障者リスト入りした。
5月19日に60日間の故障者リストへ異動。
8月1日にリストから外れた。
この年は29試合に登板し、1勝1敗1セーブ、防御率1.75だった。
2014年も開幕ロースター入りし、開幕後は14試合に登板したが、5月12日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。
6月14日に復帰し、10試合に登板したが、防御率は7点台と結果を残せず、7月21日にDFAとなった。
7月23日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格した。
AAA級では11試合の登板で、1勝0敗2セーブ、防御率0.00と好投し、8月23日に再びブルージェイズとメジャー契約を結んだ。
昇格後は2試合に登板したが、いずれの試合も失点を記録。
8月27日にDFAとなり、8月31日にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ降格した。
この年は26試合に登板し、0勝3敗5セーブ、防御率8.57だった。
オフの11月1日にブルージェイズが球団オプションを破棄したため、FAとなった。
2015年1月8日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
4月24日にメジャー契約となり40人枠入りする。
5月27日にDFAとなった。
6月6日に契約破棄条項を行使し自由契約となる。
2015年6月10日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約をんだ。
13日にメジャー契約となり25人枠入りする。
ヤンキースでは2試合(3イニング)に投げ、0勝0敗、防御率6.00、3奪三振の成績を残したが、間もなく右肘を故障しトミー・ジョン手術を受けた。
11月2日にFAとなった。
この年を最後に試合には出場しておらず、その後現役を引退した。
主要な球種は平均95.6マイル(約153.9km/h)の速球とスライダー。
特にスライダーの評価は高く、2010年にはESPNから「現在のメジャーリーグで最も優れた決め球」と絶賛された。
制球力に不安はあるが、三振を奪う能力は極めて高い。
マイナーでの内野手としての通算成績は、777試合の出場で打率.248、77本塁打、373打点、OPS.699。
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