チャド・コルデロ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=561810 / CC BY SA 3.0

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チャド・コルデロ(Chad Patrick Cordero, 1982年3月18日 – )は、MLBの元投手。
カリフォルニア州アップランド出身。
右投右打。
カリフォルニア州チノのドン・アントニオ・ルーゴ高校を卒業する際にサンディエゴ・パドレスからドラフト26巡目(全体769位)指名を受けるが、入団せずカリフォルニア州立大学フラトン校に入学する。
カレッジ・ワールドシリーズを4度制した強豪の同校野球部でコルデロは抑え投手となり、3年間で12勝8敗34セーブを挙げてチームを2度のカレッジ・ワールドシリーズ出場へ導いた。
人望が厚く、チームメートから「チーフ」とニックネームが付けられた。
2003年のドラフトではモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)から1巡目(全体20位)で指名され、入団。
マイナーリーグ High-A級で19試合に登板すると、8月30日にはAA級・AAA級をとばしてメジャーデビューした。
ドラフト指名されたのは6月3日で、メジャーデビューまでは2か月と27日しか経っていない。
9月18日のメッツ戦でメジャー初セーブを記録している。
2004年は開幕からミドルリリーフとして起用され、6月6日までに27試合に登板し、1勝1敗・8ホールド・防御率2.18の成績を残した。
この活躍を受け6月8日、フランク・ロビンソン監督はコルデロを、不調のロッキー・ビドルに替わる抑えに指名した。
抑え投手としての初セーブは6月19日のホワイトソックス戦。
このシーズンは球団新人記録を4セーブ上回る14セーブを挙げた。
チームがワシントンD.C.へ移転した2005年には、47セーブを記録。
これは1993年にジョン・ウェッテランドが記録した43セーブを上回る球団新記録であり、この年のリーグ最多でもあった。
また、6月の1か月間で15セーブを挙げ同月のメジャー最多記録に並ぶなど、記録ずくめの1年となった。
オールスターゲームにも初選出されている。
翌2006年のシーズン前に開催されたワールド・ベースボール・クラシックでもアメリカ合衆国代表に選出。
しかし大会終了後に開幕したMLBレギュラーシーズンでは前年からセーブ数を18減らし、防御率も1.37悪化したが残留した。
2007年は、シーズン序盤こそ病を患った祖母が心配で野球に集中できず、15登板でセーブ失敗4・防御率4.70と不振に陥ったものの、見舞い休暇から復帰後は61登板で33セーブ・防御率3.02と立ち直った。
6月12日のオリオールズ戦でセーブを挙げ、フランシスコ・ロドリゲスに次いで史上2番目の若さとなる25歳86日での通算100セーブを達成した。
しかし、2008年は肩の故障で6試合の登板に終わりFAとなった。
2009年3月12日、シアトル・マリナーズとマイナー契約。
2010年6月、引退したケン・グリフィー・ジュニアに代わってメジャーに昇格し、2008年4月以来のメジャー登板を果たした。
2011年はトロント・ブルージェイズのマイナー契約を結ぶが、メジャー昇格を果たせないまま6月20日に現役引退を表明した。
持ち球は速球、スライダー、チェンジアップ。
速球の球速は平均90mph(約144.8km/h)超、最速でも95mph(約152.9km/h)と、抑え投手の中では決して速くはない。
スライダーは曲がりが小さく鋭い。
これらを制球よく投げ分けて打者を打ち取る。
メジャー5年間の通算GO/AO(フライアウトとゴロアウトの比率。数字が1より高ければゴロが多く、低ければフライが多い)は0.66と、飛球で打ち取る割合が高い。

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