澤田圭佑, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3501312 / CC BY SA 3.0

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澤田 圭佑(さわだ けいすけ、1994年4月27日 – )は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
オリックス・バファローズ所属。
松山市立荏原小学校在学中に「砥部リトル」で軟式野球を始めると、同市立久谷中学校への進学後は、愛媛西シニアに所属した。
愛媛西シニアのエースとして出場した大会を大阪桐蔭高校硬式野球部監督の西谷浩一が視察したことをきっかけに、自身の意思で同校へ進学。
3年時には、エース・藤浪晋太郎に次ぐ背番号10の2番手投手として、藤浪や1学年下の森友哉などとともに甲子園球場の全国大会で春夏連覇を経験した。
夏の大阪大会では、本調子でなかった藤浪を好救援で支え続けながら、チームの全国大会出場に貢献。
「9番・投手」として先発した全国大会の3回戦では、熊本代表の済々黌高校打線を相手に2失点の完投勝利を挙げるとともに、打者としても本塁打も記録している。
大阪桐蔭高校で春夏制覇を達成した後は、プロ志望届を提出せずに立教大学へ進学した。
進学後は、1年時の春から東京六大学野球のリーグ戦に登板すると、主に先発投手として活躍。
2年時の秋季リーグ戦では、通算65イニングを投げて、6完投、防御率1.11、リーグトップの5勝を記録した。
3年時には、春季リーグの開幕戦で完投勝利を記録。
夏には、第28回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選出されて優勝に貢献し、金メダルを獲得した。
4年時には主将を経験し、同部の投手が主将を兼務した事例は、2002年の上重聡以来であった。
在学中には、東京六大学野球のリーグ戦に、通算69試合の登板で22勝16敗、防御率2.24、225奪三振という成績を残した。
また、通算投球回(300イニング)と通算勝利数(22勝)はいずれも、当時の現役投手で最も多かった。
大学の同期には田村伊知郎と田中和基がいる。
大学4年生だった2016年の秋にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出したことを背景に、同年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから8巡目で指名。
契約金2,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は49。
このドラフト会議では、田村も埼玉西武ライオンズからの6巡目指名を経て入団している。
2017年には、同期入団の山岡泰輔・黒木優太・小林慶祐と共に春季キャンプを一軍でスタート。
一時は二軍キャンプへ回ったが、金田和之の故障で一軍へ昇格したキャンプ終盤から、対外試合で好投を見せた。
ワールド・ベースボール・クラシック開幕直前の3月5日には、オリックスと日本代表の強化試合(京セラドーム大阪)に、救援投手として6回表から登板。
日本代表の先発だった藤浪が2回2失点で降板した後にマウンドへ上がったため、藤浪との投げ合いは実現しなかったものの、2イニングを投げて日本代表打線を1安打無失点に抑えた。
オープン戦でも、救援で登板した5試合(通算4回1/3)を無失点で凌ぎ、チームの新人選手からは黒木とともに開幕一軍入りを果たした。
3月31日には、東北楽天ゴールデンイーグルス(京セラドーム大阪)との開幕戦で、救援投手として一軍公式戦にデビュー。
4-4の同点で登板した延長11回表にカルロス・ペゲーロにバックスクリーンへ2点本塁打を被弾し、チームがそのまま4-6で敗れたため、澤田が敗戦投手になった。
チームはこの敗戦で開幕戦6連敗を喫したものの、一軍監督の福良淳一は試合後に、「(澤田は)よく粘ったんじゃないか。マウンドさばきも大丈夫。本塁打の後はきっちり抑えてくれた」とコメント。
翌4月1日の同カードでも救援登板で3失点を喫したが、レギュラーシーズンの序盤は、中継ぎ投手として一軍公式戦での登板を重ねた。
その後は、一軍と二軍を2度往復しながら、ウエスタン・リーグの公式戦で先発登板も経験。
10月6日には、福岡ソフトバンクホークスの本拠地・福岡ヤフオク!ドームにおけるレギュラーシーズン最終戦で延長12回裏に登板したが、代打の吉村裕基にサヨナラ本塁打を打たれてシーズン2敗目を喫した。
一軍公式戦にはオール救援で13試合に登板したが、初勝利を挙げるまでに至らなかった。
2018年には、前年に続いて、公式戦の開幕から一軍の中継ぎ要員に起用。
ビハインドの展開での…

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