山本拓実, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3772643 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#兵庫県出身の人物
#2000年生
#存命人物
山本 拓実(やまもと たくみ、2000年1月31日 – )は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
中日ドラゴンズ所属。
3歳だった2003年に、地元球団の阪神タイガースがセントラル・リーグで18年ぶりに優勝したことをきっかけに野球を始めた。
宝塚市立仁川小学校への入学後に、軟式野球クラブの仁川ユニオンズで本格的に野球をスタート。
当時からNPB入りを漠然と志していたほか、阪神タイガースのファンクラブ会員として、シーズン中に月2回ほどのペースで阪神甲子園球場で阪神戦を実父と共に観戦していた。
宝塚市立宝塚第一中学校への在学中には、ヤングリーグの兵庫タイガースで主に二塁手や遊撃手を務めた。
自身の希望ポジションは投手だったが、身長があまり伸びなかったため、投手としての実戦登板は最後の大会にまで持ち越された。
当時のエースが故障したことに伴う先発登板だったが、7回を投げて相手打線を3失点に抑えたことで、投手としての自信を持つようになったという。
中学校からの卒業後は西宮市立西宮高等学校に進学。
同校への進学を決めたのは、中学生の時の練習見学で「選手が自分たちで考えて力を伸ばすチーム」という印象を持ったことや、「将来プロ野球選手になったら、『自分で何が足りないか』を考えて練習することが大切になる」と考えたことによる。
入学後は、1年時から投手に専念。
2年夏の選手権兵庫大会では、香住高校との1回戦で、大会規定(8回までに8点差)のコールドゲームによる参考記録ながらノーヒットノーランを達成した。
3年時の春には、第89回選抜高等学校野球大会後の兵庫県大会で報徳学園高校と対戦。
1 – 2というスコアで惜敗したものの、被安打3という内容で一躍脚光を浴びた。
さらに、選抜大会で優勝したばかりの大阪桐蔭高校監督の西谷浩一が山本との対戦を希望したことから、6月22日に練習試合が実現。
市立西宮高校は完封負けを喫したものの、山本は西谷の前で7回3失点3被安打6奪三振と好投した。
当時は大学野球や社会人野球を経由してのNPB入りを考えていたが、この試合を境に、高校から直接NPBを目指すことを決意したという。
その後の選手権兵庫大会では、準々決勝で報徳学園と再戦。
延長10回の末に、1対2というスコアでサヨナラ負けを喫したが、大会後にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出した。
2017年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズに6巡目で指名。
契約金2,500万円、年俸550万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は59。
市立西宮高校からプロ野球選手を輩出したのは、1975のNPBドラフト会議5位指名を経て近鉄バファローズへ入団した山中浩次投手以来2人目である。
市立西宮高校は山本の在学中に3年生へ大学入試センター試験(当時)の受験を事実上義務付けていたほどの進学校でもあるが、山本は試験の前に中日と契約したため、同校の3年生としては数年ぶりにセンター試験の受験を見送った。
2018年には、9月11日に入団後初めての出場選手登録を果たすと、翌9月12日の対阪神タイガース戦8回裏から一軍公式戦にデビュー。
高校時代に立てなかった甲子園球場のマウンドで、阪神の上位打線を相手に、最速148km/hのストレートで2イニングを無失点に抑えた。
中日にドラフト6位以下の順位で入団した高卒新人投手および、2000年生まれの投手によるNPB一軍公式戦への登板は、この試合での山本が初めてである。
一軍公式戦にはこの試合に登板しただけで、ウエスタン・リーグ公式戦でも、16試合の登板で0勝6敗、防御率4.54という成績でシーズンを終えた。
シーズン終了後に参加したフェニックスリーグでは、前年のワールド・ベースボール・クラシック韓国代表4人を擁する斗山ベアーズ(KBO)打線を6回3被安打6奪三振1失点に抑えている。
2019年には、一軍公式戦9試合に登板。
7月24日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で先発デビューを果たすと、1週間後(7月31日)に先発した対阪神戦(甲子園)で、6回1失点と好投した末に初勝利を挙げた。
通算成績が3勝3敗ながら防御率2.98を記録したことを背景に、シーズン終了後には推定年俸1,100万円(前年から倍増)という条件で契約を更改。
更改後の12月には、年俸の1割以上に相当する自費を投じて、「ドライブライン・ベースボー…

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