加治屋蓮, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2942012 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#JR九州硬式野球部及びその前身チームの選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#宮崎県立福島高等学校出身の人物
#宮崎県出身の人物
#1991年生
#存命人物
加治屋 蓮(かじや れん、1991年11月25日 – )は、宮崎県串間市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
串間市立大束小学校3年生の時に同小学校の野球クラブで野球を始め、大束中学校では三塁手としてプレーした。
宮崎県立福島高校では1年生の秋に背番号18でベンチ入りし、2年生の秋にエースになったが、甲子園出場経験は無い。
JR九州3年目の第38回社会人野球日本選手権大会の2回戦において2番手で5回を投げ、被安打2、自責点0だった。
4年目に第84回都市対抗野球大会の1回戦で先発登板し、4回を投げ被安打5、与四死球1、奪三振4、自責点2の成績だった。
2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議において、ドラフト1巡目で松井裕樹、杉浦稔大をそれぞれ重複抽選を外した福岡ソフトバンクホークスに指名され、契約金9,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は14に決まった。
第39回社会人野球日本選手権大会では1回戦において2番手で登板し、3回を投げ被安打1、与四死球1、奪三振2、自責点0の成績だった。
11月11日、右足の第3中足骨を疲労骨折しており、全治3か月と判明した。
2014年は、右肩を痛めた影響もあり一軍での登板は無く、二軍でも1試合で5回1/3を投げたのみだった。
2015年、6月18日のウエスタン・リーグの対広島東洋カープ戦に2番手で登板し、3回を投げ無失点で二軍でのプロ初勝利を挙げた。
二軍ではチーム最多の33試合に登板し、56回2/3を投げ9勝3敗3セーブ、防御率3.65の成績だった。
シーズンオフに岡本健、上林誠知、真砂勇介、張本優大と共に、台湾で行われた「2015年アジアウインターベースボールリーグ」にNPB選抜として派遣された。
2016年、8月23日に初めて出場選手登録され、26日の対千葉ロッテマリーンズ戦において9点リードの9回表に2番手でプロ初登板し、1回を投げ被安打3、奪三振1、1失点だった。
また9月1日の対埼玉西武ライオンズ戦において登板機会を迎え、9回表1イニングを無安打に抑えた。
一軍公式戦では上記の2試合に登板。
二軍公式戦においては、29試合の登板で78イニングを投げ、4勝3敗1セーブ、防御率3.35の成績を残す。
2017年は、足首の捻挫で宮崎春季キャンプを離脱し出遅れたが、二軍公式戦5試合で4セーブの成績を残し、4月18日に一軍に昇格する。
同月22日に行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦においてリリーフとして同年初登板を迎えるが、松井稼頭央に通算200号となるソロ本塁打を、また5月25日に行われた対ロッテ12回戦において、井口資仁に通算250号となる2点本塁打を喫するなど結果が出ず、6月1日に一軍出場選手登録を抹消された。
一軍公式戦登板は前年と同じくその2試合にとどまり、二軍公式戦において、主にクローザーとして42試合に登板し、55回2/3を投げ、2勝3敗、2ホールド、15セーブ、防御率3.23の成績を残す。
2018年、セットアッパーを務めていた岩嵜翔が故障で離脱したことにより、セットアッパーとして定着、初めてオールスターゲームにも出場した。
最終的に、前年岩嵜が記録したレギュラーシーズン最多登板の球団記録に並ぶ72試合に登板、4勝3敗31ホールド・防御率3.38の成績を残した。
この年でプロ入り5年目ながら新人王の資格を有しており、新人王選考の記者投票では、有効投票258の内、田中和基(112票)、山本由伸(70票)に次ぐ45票を集めた。
2019年は、春季キャンプから右肩痛でリハビリ調整をした。
開幕直後は前年と同じくセットアッパーを任されたが、怪我の影響もあり務めることがほとんど出来なかった。
結局30試合の登板にとどまり、防御率も6.00と不振だった。
2020年は二軍で19試合に投げて1勝1敗2セーブ、防御率1.69の成績を挙げるも、一軍登板は僅か6試合、9-1と大量リードの場面で登板した1試合を除き全て敗戦試合での登板で、防御率も6.00に終わり、日本シリーズ終了後の11月26日、球団より戦力外通告を受けた。
「体に不安はない。まだ野球をやりたいなとは思…

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