奥村展征, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2868836 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#日本大学山形高等学校出身の人物
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
#滋賀県出身の人物
#1995年生
#存命人物
奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 – )は、滋賀県湖南市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
第26回AAA世界野球選手権大会にて (2013年9月5日) 小学校1年生の時に「三雲東スポーツ少年団」で野球を始め、甲西中学校時代には「リトルシニア草津パンサーズ」に所属していた。
中学校の同級生に西村凌がいる。
中学卒業を機に地元の滋賀県を離れ日本大学山形高校へ進学。
1年生の春から正二塁手に起用された。
主将を務めた3年夏には、1学年後輩の中野拓夢と二遊間を組み、選手権全国大会へ出場すると準決勝にまで進出。
自身は全4試合で4番・遊撃手で先発出場、11打数3安打3打点・打率.273という通算成績を残したほか、日大三高との2回戦では本塁打を打っている。
さらに、大会後の8月に開かれた第26回18Uワールドカップにも日本代表の一員として出場すると対台湾戦とチェコ戦で適時打を記録。
日大山形高校の選手として最後に出場した東京国体では、対前橋育英戦で迎えた高校最後の打席で本塁打を打った。
2013年のNPBドラフト会議で読売ジャイアンツに4巡目で指名され、契約金4,000万円、年俸540万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は91。
読売ジャイアンツ時代 (2014年5月9日) ルーキーイヤーとなる2014年には、7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)にイースタン・リーグ選抜の一員として途中出場した。
同リーグ公式戦には86試合に出場。
主に二塁を守りながら打率.212・2本塁打・20打点という成績を残した。
2015年1月に、国内FA権の行使によって東京ヤクルトスワローズから巨人へ移籍した相川亮二の人的補償選手としてヤクルトへ移籍した。
背番号は56。
NPBのFA制度で人的補償措置の対象になった選手としては最年少(19歳)で、この措置によるプロ2年目での移籍はNPB史上最短(当時)であった。
奥村自身は、移籍の一報を自主トレーニング先の熊本県内で知らされたという。
移籍1年目の2015年には、東北楽天ゴールデンイーグルスとのイースタン・リーグ公式戦(天童市スポーツセンター野球場)を控えていた4月26日に腰痛を発症。
この試合に出場後は立位や着座姿勢にも支障を来すほど腰痛が悪化したため、以降は二軍を含めて公式戦出場の機会がなかった。
病院で検査を繰り返しても正式な診断名が出ないほどの重症だった。
イースタン・リーグ公式戦には26試合へ出場し、打率.211・0本塁打・4打点という成績であった。
2016年は、7月9日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)9回裏に中島彰吾の代打として一軍公式戦初出場。
8月20日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では「7番・二塁手」として初めてスタメンに起用された。
一軍公式戦には4試合の出場で無安打に終わった。
2017年は、7月11日の対巨人戦(東京ドーム)2回表の第1打席で菅野智之から一軍公式戦初安打を記録。
7月13日のフレッシュオールスターゲーム(静岡県草薙総合運動場硬式野球場)には、イースタン・リーグ選抜の一員として自身2度目の出場を果たしている。
後半戦以降一軍に定着し、一軍公式戦では通算で44試合に出場。
打率.239・4打点・1盗塁を記録した。
シーズン終了後には台湾で開かれたアジアウインターベースボールリーグで、NPBイースタン選抜の一員として出場。
遊撃手としての出場が主であった。
2018年は、プロ入り初の開幕一軍を果たす。
「7番・二塁手」としてスタメンに起用された10月4日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、同点の9回表二死で迎えた打席でラファエル・ドリスから一軍公式戦初本塁打を記録。
この本塁打でチームを勝利へ導くとともに、チームとしては6年ぶりの阪神戦シーズン勝ち越しを確定させた。
一軍公式戦では主に代打で起用されたが、前年を下回る32試合の出場で、通算打率も.220にとどまった。
イースタン・リーグ公式戦では、75試合の出場で打率.281・9本塁打(チーム2位タイ)を記録。
シーズン終了後の11月には、翌2019年から背番号を00に変更することが発表された。
2019年は、西浦…

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