香月一也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3103028 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#大阪桐蔭高等学校出身の野球選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#1996年生
#存命人物
香月 一也(かつき かずや、1996年4月16日 – )は、福岡県遠賀郡水巻町出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
読売ジャイアンツ所属。
頃末小学校1年生の時に兄の影響で野球を始め、当時は投手。
5年時には頃末ファイターズから『猪熊ベアーズ』へ入団し主力として活躍、6年時には「福岡ソフトバンクホークスジュニア」でもプレーした。
水巻中学校時代は「八幡中央ボーイズ(現・八幡ひびきのボーイズ)」に所属、3年時には世界大会に出場した。
大阪桐蔭高校入学後は野手に専念、1年時からベンチ入りし、2年時の春の選抜大会後にレギュラーを獲得した。
夏の第95回選手権大会では全3試合に5番または6番・二塁手で先発出場、計11打数5安打1打点、打率.455の成績だった。
副主将として迎えた3年時の夏の第96回選手権大会では全6試合に3番・三塁手で先発出場、27打数12安打10打点1本塁打、打率.444の成績で、チームの優勝に貢献した。
9月1日から6日までアジア野球連盟の主催でタイのバンコクで行われた第10回18Uアジア野球選手権大会では日本代表メンバーに選ばれ、全5試合に5番・三塁手で先発出場し、準優勝に貢献した。
この時のクリーンナップは3番・岸田行倫、4番・岡本和真で、いずれも後に巨人でチームメイトとなった。
野球部には2学年先輩に藤浪晋太郎、澤田圭佑、1学年先輩に森友哉、同期に正隨優弥、1学年後輩に青柳昴樹、プロでもチームメイトとなる福田光輝がいる。
高校通算30本塁打。
2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから5巡目指名を受け、契約金3,000万円、年俸500万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は57に決まった。
チームには同姓の香月良仁がいたため、背ネームがK.KATSUKI、スコアボード表記が香月一となった。
なお、良仁の退団後も背ネームとスコアボード表記はそのままであった。
2015年、3月7日にチームの新人お披露目イベントに出席、その後行われたオープン戦・対福岡ソフトバンクホークス戦にベンチ入り。
7回裏に代打で出場し結果は四球だった。
これがチームの本拠地QVCマリンフィールドでの初出場だった。
6月29日に行われた「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」ではNPB選抜に選出され、8回に代打で出場し、左翼手への飛球で凡退した。
二軍では93試合に出場し、打率.227、3本塁打、22打点を記録した。
2016年、イースタン・リーグではリーグ2位の安打数(115)、同4位となる打率(.281)を記録。
同年9月26日に初めて出場選手登録され、同日の対ソフトバンク戦に9番・三塁手でプロ初出場・初先発出場し、3回裏に迎えた初打席で初安打(左前安打)を放った。
一軍では2試合出場で6打数1安打3三振に終わったものの、二軍では112試合に出場し、打率.281、6本塁打、52打点を記録した。
2017年は19試合に出場し、打率.195、2打点を記録。
2018年、6月より外野の守備にも挑戦し、7月9日の東京ヤクルト戦では左翼で先発出場すると、18日の読売ジャイアンツ戦では5回二死二塁で増田大輝のレフト前ヒットを本塁へ返球し、辻東倫を本塁上でタッチアウトにし、外野手として初補殺を記録した。
ルーキーシーズン以来となる一軍出場なしに終わった。
2019年、7月3日のオリックス戦でプロ初本塁打となる3ランを記録。
シーズン通算では、自己最多となる26試合に出場し、打率.152、1本塁打、3打点を記録した。
オフに、50万円増の推定年俸650万円で契約を更改した。
2020年、二軍では43試合に出場し、打率.286、5本塁打、27打点を記録していたが、一軍登録はされずにいた。
2020年9月7日、澤村拓一とのトレードで読売ジャイアンツへ移籍。
実績のみならず、推定年俸に約1億4,750万円もの開きがある「格差トレード」として話題になった。
背番号は68となった。
9月25日の中日戦に代打として移籍後初出場。
最終的に、一軍では8試合出場、9打数0安打でシーズンを終えた。
移籍以降、二軍では20試合出場、打率.400、6本塁打、21打点を記録。
オフに、50万円増の推定年俸700万円で契約を更改し、背番号が66に変更されることが発表された。
2021年、4…

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