ジミー・ジョーンズ (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1355637 / CC BY SA 3.0

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ジェームズ・コンディア・ジョーンズ(James Condia Jones, 1964年4月20日 – )はアメリカ合衆国・テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(投手)。
1982年のドラフト会議でサンディエゴ・パドレスから1巡目で指名を受ける。
1986年9月21日、メジャーデビュー戦にて1安打完封の好投を見せ、技巧派投手として主に先発投手で起用された。
1988年10月24日にパット・クレメンツ・ジャック・クラークとの2対3のトレードでランス・マッカラーズ、スタン・ジェファーソンとともにニューヨーク・ヤンキースに移籍。
1991年3月19日にはヒューストン・アストロズに移籍した。
同年秋には右ヒジの手術を受けてリリーフへの転向が決まったが、翌1992年は先発として起用され自身初の2桁勝利を挙げている。
1993年1月25日にはモントリオール・エクスポズに移籍した が、夏には右ヒジ遊離骨の除去手術を受けている。
同年11月15日に年俸と契約金合わせて60万ドル(当時のレートで約6,300万円)で、巨人と入団契約を結んだ。
1994年はキャンプで投球内容を評価され先発ローテーションに入ったが、5月4日の対横浜戦でショートに内野安打を放った際に一塁で駒田徳広と交錯し、左足首を剥離骨折した。
その後2ヶ月間はリハビリに専念し、回復に合わせて走りこみなどのトレーニングを行なっている。
7月7日のイースタン・リーグで登板して好投を見せる と、7月14日には一軍の対中日戦で先発し、7回を無失点に抑えて復帰戦で勝利を挙げた。
この試合を含めて8月23日の対ヤクルト戦まで35イニングを投げ防御率1.54という安定した投球で5連勝を記録し、斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の3本柱に次ぐ先発の地位を確立している。
同年の日本シリーズでは第3戦に先発し、5回1/3を投げて6安打1失点(自責点0)でチームは延長戦の末に勝利している。
1995年は一軍で6試合に先発し、4月30日の横浜戦では来日初の完投を完封勝利で記録するが、6月に右ヒジ痛を訴えて登録を抹消され、検査の結果内側側副靱帯損傷が判明した。
その後は一軍に復帰することなく9月28日に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退している。
2012年は当初サンディエゴ・パドレス傘下AAA級ツーソンで投手コーチを務めていたが、パドレスのブルペンコーチであるダレル・エイカーフェルズが膵臓がんにより亡くなったため、6月からシーズン途中までその後任を任された。
その後もパドレス傘下球団での指導者の道を歩み、2013年から2018年まではAA級サンアントニオ・ミッションズ、2019年はAA級アマリロ・ソッドプードルズ、2021年からはA+級フォートウェイン・ティンキャップスで投手コーチを歴任している。
カーブ、チェンジアップのほか、鋭いスライダーやムービングファストボールなど多彩な変化球を駆使した。
長い腕をしならせるフォームから低めに制球し、大崩れしにくいタイプだと言われた。
スタミナに不安があるため巨人では100球をメドに交代していたが、5回までは安心して試合を任せられるとコーチの堀内恒夫は評している。
被本塁打が少なく、1994年は9月10日の広島戦で江藤智に打たれたのが唯一のホームランだった。
投手ながら打撃が良く、メジャーでは通算2本塁打を放ち、日本でも28打数8安打という打撃記録を残した。

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