三木亮

三木亮, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2918251 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#遊学館高等学校出身の人物
#上武大学硬式野球部の選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#大阪府出身の人物
#1991年生
#存命人物
三木 亮(みき りょう、1991年10月25日 – )は、大阪府高石市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
東羽衣小学校1年から軟式野球を始める。
小学校時代は高石南スターズに所属し、野球の基礎を習得。
野球を始めたばかりの頃は、父親に買ってもらった軟式野球ボールを使って行った壁当て練習で、夢中になるあまり2~3日でボールの表面がつるつるになってしまっていたという。
高石中学校時代は高石ボーイズに所属。
石川県金沢市の遊学館高等学校へ進学し、1年時からベンチ入りを果たす。
2年時に石川県大会準優勝が最高成績で甲子園出場はなかった。
高校通算34本塁打。
3年時にプロ志望届を提出するも指名漏れとなった。
2013年上武大学時代 その後、上武大学ビジネス情報学部へ進学。
関甲新学生野球連盟リーグでは、1年春からリーグ戦に出場。
2年時の秋季リーグでは打率.400で首位打者を、3年春季リーグでは打点王を獲得。
その後、秋季リーグでの試合で盗塁の際に右足首を骨折し10月に手術。
守備練習や走り込みが出来なくなった冬期期間中に行っていた、主に椅子に座った状態でのティー打撃練習は一日に1000スイングになることもあったが 、功を奏し打撃技術の向上につながったと本人が語っている。
2013年6月、3年連続12度目の出場となった全日本大学野球選手権で創部初の優勝、三木は大会5試合で1本塁打、8打点、打率.300とチームを日本一に導く活躍を見せた。
また大会第3日準々決勝の対天理大学戦で放った満塁本塁打は大会700号という記念にもなっている。
同年の7月には第39回日米大学野球では大学日本代表に選出された。
第4戦の守備で右膝を負傷し途中交代。
その後の甲新学生野球連盟秋季リーグでは、主にDHと本来の遊撃手よりは守備負担の軽い三塁手として出場した。
2011年秋季リーグ、2012年春季リーグ、2013年春季リーグでベストナイン選出。
関甲新学生野球連盟リーグの通算成績は、75試合出場で、271打数85安打、7本塁打、56打点、打率.313。
2013年、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから3位指名を受け、11月24日に群馬県伊勢崎市の上武大学伊勢崎キャンパスにて仮契約を結び、「開幕一軍が目標。守備でアピールしたい」と抱負を語った。
契約金6000万円、年俸1200万円(金額は推定)、背番号は「37」。
遊学館高等学校出身のプロ野球選手としては、2005年の鈴木将光、2006年の小嶋達也に次いで3人目。
2014年は、2月の石垣島キャンプ中に左太もも裏側の肉離れで、しばらく別メニュー調整となったが、その後一軍を離脱。
3月8日、千葉ロッテマリーンズの本拠地QVCマリンフィールドでの初のオープン戦となる、対福岡ソフトバンクホークス戦において、当初試合前練習と新加入選手紹介セレモニーのみの参加予定が、同期入団の肘井竜蔵とともに急遽ベンチ入り。
6回から遊撃手として守備につき、7回の初打席では遊ゴロで無安打に終わった。
目標としていた「開幕一軍」はかなわず、二軍からのスタートとなった。
4月13日に初めて出場選手登録されと、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(QVCマリン)、8回裏1死の場面で鈴木大地の代打として公式戦初出場、初打席でプロ入り初安打となる左前打を記録。
そのまま9回表に遊撃手として守備についた。
プロ入り初出場となったこの試合は、0-3の完封負けとなった。
その後5月14日に出場選手登録を抹消されると、8月25日には大学時代に痛めた右ひざ半月板部分切除手術を受け、後半戦はリハビリに励んだ。
2015年、4月28日に「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜に選出された事が発表された。
しかし6月25日に、出場辞退した事が発表された。
10月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリン)ではプロ初本塁打を放った 2016年は、主に二塁手と三塁手の守備固めとして75試合に出場したが、打率は.185だった。
2017年は、鈴木のコンバートに伴う形で、中村奨吾、平沢大河らと共に遊撃手のレギュラーの座を争ったが、開幕は二軍スタート。
しかし、遊撃手で開幕スタメンを勝ち取った中村奨吾が4月6日に不振のため二軍へ降…

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