【クリス・ナイマン 南海】1月から来日の真面目助っ人。開幕から好調スタートで一時はホームランダービートップを走るも終盤調子を落とすがホームラン29本打ち活躍2年目も同様の成績を残すものの契約更新ならず

ナイマン選手は、1977年にシカゴ・ホワイトソックスに入団。マイナーリーグでは107試合で26本塁打・90打点と好成績を収め、82年シーズン終盤にメジャー昇格。21試合で打率.286を記録し、将来を期待される存在となりました。

そんなナイマンに目をつけたのが、1984年当時、再建を目指していた南海ホークス。黄金期を取り戻すべくユニフォームも一新し、守備・長打力を兼ね備えたナイマンを年俸3000万円で獲得しました。身長193cm・体重90kgの大型助っ人は、他球団の億越え外国人に比べて“コスパ抜群”。しかも、1月から練習に参加し、酒もタバコもやらず、ベジタリアンというストイックさで注目を集めました。

キャンプではスイング練習ばかりで紅白戦では鳴かず飛ばず。「何もないもん」と穴吹監督も呆れ気味でしたが、オープン戦から徐々に当たり始め、3月31日の西武との開幕戦で複数安打。4月3日の本拠地開幕では初本塁打を放ちました。

4月はリーグ7位の好成績。5月に入っても満塁弾や1試合2発など勢いは止まらず、負傷した門田に代わって4番を任されると、ホームランダービーで首位を走るなど大活躍。「止まらないマン」と新聞を賑わせました。

その年は125試合出場、打率.267・29本塁打・82打点と堂々たる成績。翌1985年も121試合で打率.285・26本塁打・78打点をマークし、2年連続で本塁打・打点ともにリーグトップ10入りを果たします。

しかし、新助っ人獲得による外国人枠の都合で惜しくも解雇。小柄ながら俊敏な同僚・ジェフ・ドイルと“凸凹コンビ”として親しまれたナイマン。その真面目な姿勢と実力は、今も語り継がれています。

通産成績
246試合 235安打 55本塁打 160打点 28盗塁 打率.276

24 Comments

  1. ナイマン 選手は、 南海 でそこそこので移籍を残していたのに契約更新ならずはもったいなかった記憶が残っている選手だ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。

  2. 最初いないマンなんて言われてたけど盗塁も上手いし中軸打者では及第点だったと思います。

  3. オープン戦は全然駄目でした。その為にプロ野球ニュースのシーズン前の予想で解説の荒川博さんに「う〜ん、ナイマンだねぇ〜。」と訳の分からない評価で散々でしたがシーズンでは結構打ちました。成績がそこそこ良かったのに2年で解雇されたのはやはり「迫力不足」だったと球団が判断したのかもしれません。

  4. ナイマンとドイル好きでした。ナイマン選手は助っ人外人にしては、ひょろっとしてて大丈夫かなあと思ってましたが、結構いい場面でホームランを
    打っていた印象があります。ドイル選手は確かセカンドで守備がうまい印象が残ってます。それに意外とパンチ力がありました。

  5. 小学生の頃、ライオンズ友の会に入っていた友人に誘われて西武球場に何回か観に行ってました。
    正直、巨人と西武以外の選手はあまり知らなかったのですが、ホークス側の守備練習(外野だった記憶)をネット越しに観ていたらナイマンという外人選手が傷だらけのボールを投げてくれて、その時の優しい笑顔を今でも覚えています。 他に印象的だったのはホークスの中条という左投手ですね。なんか格好良かった。

  6. しかしまぁ昔のパリーグの選手はあの空席だらけの球場でテンションキープできたもんだ。。

  7. 10月21日、球団事務所で解雇通告を受けたナイマン内野手が記者会見で不満をぶちまけた。「球団の僕に対する姿勢には不満を感じる。まだプレーをしているにもかかわらず、新外国人と交渉し、成績が悪いとすぐ外国人のせいにするが、僕の成績は年俸(3300万円)より低いものではなかった。」

  8. 待ってました!ナイマンこういう顔しているんですね南海が悲惨過ぎた暗黒の時代、ヤクルトも打てなくなったマルカーノ時代可哀想過ぎた😭

  9. 身売りの少し前の南海ホークスでなければ。勿体ない。割といい助っ人だっただけに・・・😅(王天上なんかよりはるかに優良だと思います。)

  10. ナイマンとドイルの凸凹コンビだったな。パ・リーグでほとんど見る機会なかったけどなんか好きだったな。

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