今村猛

今村猛, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1917505 / CC BY SA 3.0

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今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 – )は、長崎県佐世保市(旧北松浦郡小佐々町)出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
小学3年生の時に楠栖クラブで一塁手として野球を始め、後に遊撃手と投手を兼任。
佐世保市立小佐々中学校では遊撃・三塁手としてプレー。
2年時に九州大会で優勝し、全国大会に出場。
この年には城島健司や寺原隼人らがオフシーズンに開催した野球教室に参加して城島と対戦。
今村は城島の内角を厳しくえぐった結果、脇腹に死球を当ててしまい、城島に笑いながら追いかけ回された。
清峰高校進学後は1年夏からベンチ入り。
秋には球速が140km/hを突破するなど、徐々に成長する。
2年の夏には第90回全国高等学校野球選手権記念大会に初出場し、2試合に登板した。
その後も秋季長崎大会、九州地区高等学校野球大会を制する。
3年春の第81回選抜高等学校野球大会では安定した投球でチームを牽引し、決勝では菊池雄星を擁する花巻東高校と対戦。
投手戦を1-0で勝利し優勝。
長崎県勢としては春夏通じて初の全国優勝だった。
大会では全5試合に先発し、44イニングを投げて47奪三振、4完投、3完封、1失点、防御率0.20と抜群の安定感だった。
また、初戦の日本文理高校戦では、第1打席に選抜大会通算600号(甲子園)となる本塁打をバックスクリーン右へ放り込んだ。
6月の練習試合で最速152km/hを記録し話題になるも、3年夏は長崎大会準々決勝で長崎日大高校と対戦し、大瀬良大地と投げ合ったが試合に敗れて甲子園出場はならなかった。
2009年10月29日に行われたドラフト会議で、広島東洋カープが単独1位指名して交渉権を獲得した。
11月13日、広島では河内貴哉以来10年ぶりとなる高卒指名での契約金1億円、年俸は球団の高卒新人では最高額となる1000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
2010年、首脳陣の育成の方針により、シーズンの殆どを二軍で過ごした。
ウエスタン・リーグでは、4月21日の福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎとして初登板し、2回無失点の好投で初勝利をあげた。
7月22日に行われたフレッシュオールスターゲームではウエスタンの先発を任され、ソロ本塁打を浴びたものの最速148km/hを記録、2イニングで3三振を奪う活躍を見せた。
その後、8月18日、小島心二郎の抹消に伴い初の一軍登録を受け、当日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初登板・初先発したものの、初回に味方の失策から畠山和洋に満塁本塁打を浴びるなど、2回5失点の黒星デビューとなった。
続く8月25日の阪神戦で再度先発したが、2回3失点で2試合連続の降板、その翌日に降格となり、そのままシーズンを終えた。
二軍ではシーズンを通じて先発ローテーションを任され、13試合・63回2/3を投げて4勝4敗、防御率4.81だった(被安打77と自責点34は共にチーム最多)。
2011年、オープン戦で先発要員として起用され好投を続けた。
開幕ローテーション入りは逃したものの、4月16日の読売ジャイアンツ戦で、先発のジャンカルロ・アルバラードの負傷降板により急遽登板。
3回1/3を無失点で切り抜け、プロ入り初勝利を挙げた。
5月20日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では「7番・指名打者」として先発起用された。
偵察要員としての起用のつもりであったが、監督の野村謙二郎が公認野球規則・6-10(b)に明記されている「指名打者は相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度は、打撃を完了しなければ交代できない」というルールを失念し、今村はオリックス先発の木佐貫洋が降板しない限り最低1打席は入らなければならなくなった。
今村は2回表1死1塁の場面で打順が回り、送りバントを決める。
その後、5回表の2打席目で代打(石井琢朗)が送られた。
その後は、中継ぎ、セットアッパーとして起用され、守護神のデニス・サファテの離脱後は守護神に指名された。
10月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦ではプロ初セーブを挙げ、1997年に横山竜士が21歳2カ月で記録した球団最年少セーブを20歳5カ月で更新した。
2012年、5月22日のソフトバンク戦から球団新記録となる29試…

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