青春ラブコメ定点観測——「ラブコメディ」の持つ重力について
『着せ恋』五条くんが“スパダリ”無双中 現代ラブコメをめぐる男性性&主人公造形とは?
「CloverWorks nights」の魔力、あるいは「青春ラブコメ」の輪郭について
『青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を…
マンガ原作やライトノベル原作を中心に、2025年の夏アニメは実にさまざまな「青春ラブコメ」作品が入り乱れるクールだった。「CloverWorks nights」の3作品について紹介した際、筆者はこのジャンルの懐の広さに魅力を見出したが、ここではそれをもう少し広げて全体像を考えていくことにしよう。特に今期は、「青春ラブコメ」というジャンルの幅広さをを垣間見ることができるように思う。
『わたなれ』の衝撃とラノベ原作もの
ナナヲアカリ『ムリムリ進化論』 × TV アニメ『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』 コラボレーションMV
まずはラノベ原作の作品について考えてみよう。今期のライトノベル原作作品の中でとりわけ話題になった作品は『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(ムリじゃなかった⁉︎)』(以下、『わたなれ』)だと思われるが、本作はラノベにおける「形式」が保たれることの心地よさをうまく活用して、根本的な設定をガールズラブにしたことが新鮮だった。いわゆる「百合」作品というジャンルはこれまで多数存在してきたが、『わたなれ』で特徴的だったのは主人公・れな子の長いモノローグや「陰キャ」、「コミュ障」といったキャラクター付け、またヒロインたちとのコミカルな掛け合いを通して進んでゆく恋模様といったラノベ的要素である。アニメにおいてこうした言い回しやストーリー展開のような「形式」をここまで踏襲した作品は初めてだろう。この掛け合わせの成功は、「青春ラブコメ」という形式の強さをベースに置くことのできる安心感によって成り立ってはいないだろうか。フォーマットがあることである程度視聴者が安心できる環境があるために、新たな要素を積極的に取りいれることができること。このジャンルの持っている強みは、この点にあると言える。
同じように、『サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと』と『公女殿下の家庭教師』は、いまやすっかりテンプレートとなった魔法と学園ものが合わさった作品だと言ってよい。もちろんどちらもマイナーチェンジは加えられているが、作品の世界観はこのテンプレートの枠から大幅にはみ出しているわけではない。広い見方をすれば、この作品たちもそうしたテンプレートが共有されていることで成立するラノベ原作の「青春ラブコメ」の亜種として捉えても良さそうだ。
マンガ原作もの——三大少年誌の力
マンガ原作からのアニメ化は、青春ラブコメでもやはり一番多く、それゆえに生じる多様さが魅力だといえる。『ブスに花束を。』や『渡くんの××が崩壊寸前』などの作品もありつつ、やはり特筆すべき点はいわゆる「三大少年誌」全てから作品が放送されている点である。
TVアニメ『ウィッチウォッチ』第2クールオープニング映像|はしメロ「ときはなて!」
『少年ジャンプ』では継続的にラブコメ作品が連載されてきたが、昨期から継続して放送されている『ウィッチウォッチ』は、近年のなかで最も成功した作品の一つと考えてよいだろう。ニコと守仁の二者関係を中心に周辺で巻き起こるドタバタ劇を描いてゆく過程は、見知ったものでありながらも安定して面白い。時にさまざまな作品のパロディを交えながら、コミカルな演出で2人の微妙な距離感をテンポよく描いていく軽妙さは、高橋留美子作品などにも通ずるような週刊誌掲載由来の「ラブコメディ」的手法(=コメディが繰り返されることで恋愛の進展が保留される)を洗練したがゆえに生じる質の高さだといえる。
また『少年サンデー』からは、『帝乃三姉妹は案外、チョロい。』(以下、『帝乃三姉妹』)が放送された。本作は強い、自立した女性として描かれる帝乃三姉妹が、主人公・優の「家族」を優先する姿勢に取り込まれていってしまうという、一見すると保守的な価値観に回収されていく危険性をはらんでいるようにも見える。ただ本作はむしろかなり早い段階でその危険性が身を潜めてしまい、単なるラブコメへと収まってゆく。『帝乃三姉妹』が12話を通して描いてきたのは、彼女らが「チョロい」こと……つまりあっさりと既存のラブコメ的展開に絡め取られていく過程だった(ゆえに、当初やや忌避感のあった筆者は早い段階で楽しめるようになった)。もちろんその展開自体に賛否両論あるだろうが、このことは「ラブコメディ」というジャンルが持つ重力の強さを表してもいる。