脚本/原作:スタジオI(@ims0294)

声優:菅原 志新(@Shiaraion)

音楽引用(フリー音源):

DOVA-SYNDROME
https://dova-s.jp

魔王魂
http://maoudamashii.jokersounds.com/

効果音ラボ
https://soundeffect-lab.info/

21 Comments

  1. 東大の赤門は、家斉の二十一女溶姫(やすひめ)が前田家に嫁いだ時に迎え入れるために建てられたものである。ちなみに家斉の子たちの半分は二十歳にならないうちに夭折している。

  2. 家斉さんは大奥で育っていないため体が丈夫だった。
    当時は銀の入った白粉を塗った乳母から
    お乳をもらっていた為、ひ弱な子供しかいなかった。
    今では考えられない

  3. 単なる好色家に見えるけど実は先代の家治が逆に愛妻家すぎて正妻以外はいらないと拒否してたら世継ぎ問題を起こしてた。
    一応田沼意次とアホみたいな喧嘩をして側室を渋々作ったけど完全なる腹扱いで子供は正妻に育てさせた。
    子煩悩で愛妻家の彼は幸せな日々を送っていたが子供は死亡し妻も死んだので完全に子作りする気を失った。
    名君の器、神童と呼ばれた家治は政治にも興味を失った。

    それを見て一橋家の人たちが自分の所もそうなっては困ると家斉に沢山子を作るように強要したという理由がある。

  4. 時代劇においては吉宗の治世と並んで舞台になりやすい時代が家斉の治世となんだよね

  5. 歴史上の人物で誰になりたいかっていったらこの人以外にはありえまい

  6. 徳川家斉の時代、正式結婚の時庶子誕生の祝いを配りまくり、御台所もそれを受け取ったという。粗製乱造のため、子供たちはちょっと??だったという。でも??の子供を、成人すると各藩に押し付ける。各藩に跡取りがいても、それを強制的に隠居させ、家斉の子供が割り込んだ。当然各藩の憤激を買う。それが「明治維新」の理由の一つになったらしい。

  7. 配下に気を配れ説明も出来た人だとは想う。德川恒孝さんの本か何かで読んだが、飛鳥山への花見目的の御成を側近から勧められたら『そりゃ良いだろうが、そこは祖父(吉宗)が庶人の娯楽のために造った場所だ。余が行けば彼らは楽しむどころでは無くなる。』と言って止めさせた事が書いてあった。政務上でも定信失脚後での老中会議で議決案が出なかった時、彼らに意見を出し切らせた後で自案を通させた事もあった。側近が『上様はあのような会議の運営方法を,何故ご存じなのですか?』と聞かれたとき、嬉しそうに『定信が教えてくれたのよ。』と返答した事も書いてあった。性豪将軍だけど少なくとも愚人なんかじゃないよなあ~と読んだ時思ったものです。

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