日常に潜む「エロス」を文学で表現した作家・永井荷風の傑作のルーツは蕎麦屋にあった
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寿司屋や蕎麦屋で過ごす時間。それはうまいものを食するにとどまらず、一杯傾けたり、ひとりその時間を楽しむ、男にとってだれからも侵されたくない聖域のようなものである。そんな楽しみを知り尽くした文豪たちが愛した、こだわりの店に足を運んでみたい。
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小学館『日本国語大辞典』によると、文士という言葉は、文章家という意味ではすでに『続日本紀』にも出てくるが、「小説家、作家」という意味で使われるようになるのは明治以後。「甚だ生意気なる辛抱(がまん)出来ぬ文士(ぶんし)なりと爪弾きさせられ」(『文学者となる法』内田魯庵)などの例があがっている。これを読むと、昔から文士というのはこういうふうに見られていたことがわかって楽しい。
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さて、この言葉、すでに1980年代には死語になっていたような気がする。ということはたかだか百年の命だったということで、いったい「最後の文士」はだれだったのか、ちょっと気になるところだ。三島由紀夫かなあ。しかし文士が死語になって久しい今、「文士が愛した寿司屋と蕎麦屋」を語ることになんの意味があるのだろう。
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まあ、ないだろうと思っていたところに、編集さんがさりげなく差しだしたのが『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本新潮社)。ちょうど文士という言葉が使われ出した頃に生まれた荷風は泉鏡花に似て、もともと食べものに神経質なうえに、「自分が好きなものを食べている分には、お腹はこわさない」と信じていて、昼飯はいつも、「暑かろうが寒かろうが年中、一杯八十五円(当時)のかしわ南蛮」だったらしい。
店は台東区浅草の尾張屋。店の人と口をきくこともなく、定時にやってきてはこれを注文して、お金を払って出ていった。有名な、荷風「いきつけの蕎麦屋」のエピソードだ。しかし荷風は毎日、尾張屋にいって、「ああ、美味である」と感動しつつ、かしわ南蛮を食べていたのだろうか。というのも、「いきつけ」という言葉は「美味」という言葉とどこかで食い違っているような気がするからだ。
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「いきつけ(ゆきつけ)」は『広辞苑』によると、「常にいって、なじんでいること」とある。一ヶ月に一、二度しかいかない店をいきつけとはまずいわない。一週間に一、二度は通うものだ。しかし美味というのはどこかしら非日常的要素がなくてはならない。ある種の驚きのまったくない美味は存在しない。ほどよい驚きこそが美味の核にある。この「ほどよい」という言葉がまた曲者ものだ。
なぜかというと、まったくの非日常というのは決してほどよくないからだ。つまり、美味の本質は非日常的日常らしい。軽く背中を曲げて店に入り、熱々のかしわ南蛮が出てくると、鶏肉を割り箸の先でつまんで口に入れ、ゆっくり嚙みながら、つゆをすする荷風の姿を想像してみる。『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』に載っている、右手の箸で蕎麦をすくい、ふと顔をあげた荷風の表情は、なんともとりとめがない。ちょうど今日と明日のあわいを漂っているような雰囲気がある。
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荷風にとってのかしわ南蛮は、日常に非日常の薬味をそえた滋味だったのかもしれない。それを可能にしたのは、店の味なのか値段なのか風情なのか、そのあたりはまったくわからない。しかし荷風にとって、そのような店があったことは想像にかたくない。考えてみれば、「いきつけの店」というのは、客が自分にとっての非日常的日常を発見できる店なのだろう。それはまた、いくたびに自分をリセットできる店なのかもしれない。荷風に限らず、文士に限らず、そんな店を探し当てたいものである。
2009年春夏号取材時の情報です。
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