阪神淡路大震災から24年がたちました。
私はまだ生まれる少し前。
この頃に赤ちゃんだった人や
まだ生まれていなかった人が
今はもう若手や大人として
演技の世界にも
たくさんいらっしゃることに
時間の積み重ねを感じつつも
コメントに書いてくださってるかたも
いらっしゃるように
忘れてはならないこと
忘れることができないこと
たくさんあると思います。
去年私は
「PLUTO プルートゥ」という舞台で
大阪公演を経験したのですが
それを観に来てくれた母が
途中で交通機関が止まって
何時間か
車内で待機したことがありました。
やっぱり最初は心配で
携帯でやりとりしていたのだけど
そのうち
「充電がなくなるから」ということで
連絡もとまったので
凄く心配したのですが
数時間でも心配したのだから
そうではない規模の出来事では
本当に大変だと思います。
後から聞くと
時間が長くなるにつれて
赤ちゃんが泣いたり
お手洗いのことなども
あったりしたようなのですが
車内に関西の方々と思われる
女性の方々がいらして
「あの時みたいにすればええんちゃうん?」
(関西弁が違ったらごめんなさい)
と声を掛け合って環境を整えたり
代わる代わる赤ちゃんと遊んだりして
スタッフの方々と一緒に
安心して時間を過ごす工夫を
なさってくださったのだそうです。
「あの時みたいに」が
避難などのことを指すのかは
分からないけれど
母は、24年前に
お友達の心配をした記憶もあるので
あらためて当時の大変さを思ったし
乗り越えた方々への尊敬を感じたと
話してくれました。
今日はいろいろな思いで
過ごしていらっしゃるかたも
多いと思います。
どうかあたたかくしてくださいm(__)m
写真は、
ドラマ「約束のステージ」で。
海が本当に綺麗でした。

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