神田 伯山(かんだ はくざん)当代は6代目。大立者・3代目が特に有名。
5代目の死後、6代目が襲名するまで襲名者が現れず、40年以上空き名跡となった。”
“3代目 明治5年7月20日(1872年8月23日) – 昭和7年(1932年)1月30日。本名:岸田 福松(きしだ ふくまつ)、東京生まれ。三尺もの(侠客もの)を得意とし、特中でも「清水次郎長伝」を最大の売り物とした。そのため三代目は「次郎長伯山」との異名がある。
1932年1月30日、胃潰瘍のため死去。墓所は港区済海寺。

“5代目 1898年4月28日 – 1976年11月4日。本名:岡田 秀章(おかだ ひであき)、東京生れ。業界きっての変人として知られる。1898年4月、東京本郷に生まれる。
1974年、勲四等叙勲の受賞を辞退。
1976年11月4日、死去。

5代目の逝去後、「神田伯山」の名跡は前座まで在籍した元直弟子が預かっていたが、後に6代目を襲名する神田松之丞が師匠の伝手でその元直弟子との接触に成功し、名跡を授かることができた。”

“6代目 神田 伯山(ろくだいめ かんだ はくざん、1983年6月4日 – )学位は学士(経営学)(武蔵大学・2007年)。日本講談協会および落語芸術協会所属。前名は神田 松之丞(かんだ まつのじょう)。本名は古舘 克彦(ふるたち かつひこ)。020年2月11日を以て講談の大名跡である神田伯山を6代目として襲名。二ツ目時代から独演会では定員数百人の会場を満員にするなど新進気鋭の講談師として注目を浴びている。

高校2年生のときにラジオで偶然、6代目三遊亭圓生の御神酒徳利を聞き、感銘を受ける。
高校卒業後の浪人生時代に所沢市で行われた立川談志独演会の高座を見て、立川談志のファンになる。以降、談志の追っかけとなり、のちに講談師になることにした。
大学時代、6代目神田伯龍の『村井長庵・雨夜の裏田圃』を聞き、衝撃を受ける。
神田松鯉に入門を認めて貰えるよう、大師匠である2代目神田山陽の命日の10月30日に入門志願をした。
入門した2007年11月に末廣亭で「神田松之丞」と命名された。「赤穂義士伝」をこよなく愛する師匠・松鯉が、重要登場人物大石主税の幼名にちなんでつけたものだという。
最初に師匠を付けてもらったネタは『三方ヶ原軍記』。覚えるのに2か月ほどかかったが、次に教わった『鉢の木』は寝食も忘れ没頭し、1週間で覚えた。その際、師匠の松鯉から「お前は将来名人になる」と言われたという。
師匠方の着物が畳めないなど、前座仕事には向いていなかったという。
一話完結の「端物」と呼ばれる読み物よりも、連続物を重視している。これは師匠の神田松鯉の考え方を受け継いだものであるという。
趣味は落語を聞くこと。

WACOCA: People, Life, Style.

Pin