岩手県陸前高田市では、犠牲になった人の名前を刻んだ刻銘碑が作られ、3月11日から公開された。
両親を亡くした高校生など、多くの遺族が、亡くなった人たちの生きた証を確かめに訪れた。

住本結花アナウンサー:
津波に耐えて唯一残った奇跡の一本松。陸前高田市の復興のシンボルも震災から11年の年を迎えました。

私はいま、JR陸前高田駅近くに整備された東日本大震災追悼施設に来ています。
本来は2021年7月に完成する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響などで工期が半年以上遅れて、震災から11年の3月11日、中に入れるようになりました。

この施設の中心となるのが刻銘碑で、東日本大震災により陸前高田市で亡くなった人や行方不明になった人のうち、遺族が希望した1709人の名前が刻まれています。

この刻銘碑の近くには屋根も設置されていて、ここには一本松の兄弟・津波で流された高田松原のマツが一部使われ、市民にとって大切なこの場所を見守っています。

日が暮れ始めてからは人が少なくなりましたが、日中は絶えず遺族が訪れ、大切な人を悼んでいました。

津波で両親を亡くした及川晴翔さんは、この春から大学へ進学することを報告しました。

津波で両親を亡くす 及川晴翔 さん(17)
「『あんなに小さかったのに、大学に行くくらいに頑張ったね』と言ってくれると思う。本当だったら生きていてほしかったけれど、2人が生きた証が残っているだけでも、うれしい」

長女・多恵さん(11)とともに訪れた米沢祐一さんは、両親と弟を津波で失いました。
米沢さんはこの施設から見える自身が経営していたビルに登り、一命をとりとめました。

両親と弟を津波で亡くす 米沢祐一 さん(57)
「これだけの人が亡くなったというのが、胸に来る。あの時バッと来た中で、これだけの人があそこまで来た津波で亡くなったと、改めて感じてもらえるのではないか」

住本結花アナウンサー:
訪れた人の中には家族だけではなく多くの友人も失ったという人もいて長い時間様々な人の名前を探していました。
改めて犠牲の大きさを感じます。
陸前高田の市街地は、大型商業施設を中心に新たな建物も増えてきました。
復興は進んでいますが、犠牲者を悼む気持ちは今も変わりません。

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