アドリアナ・リマ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1073651 / CC BY SA 3.0

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アドリアナ・フランチェスカ・リマ・ダ・シウヴァ(Adriana Francesca Lima da Silva 、1981年6月12日 – )は、ブラジル出身のファッションモデル。
178センチメートル・86-61-89。
ヴィクトリアズ・シークレットの特別広告塔にあたる「エンジェル」の一員としての活動が最もよく知られており、世界屈指の収入を誇るファッションモデル。
2000年代以降の西洋世界における代表的なセックスシンボルの一人と目される人物でもある。
「アスクメン」によれば、フランス人、ポルトガル人、ネイティブアメリカン、日本人、およびカリブ人の混血。
ビクトリアズ・シークレット『スイム・スペシャル』のインタビューにおける本人の主張によれば、日本人、黒人、および西インド連邦人( カリビアンの意味)の混血。
だが、日本の血は1/16以下である。
サルヴァドールに生まれ、1987年―6歳のときに父親が蒸発した。
小学生時代から地元のミスコンにたびたび出場し優勝するなどしていた。
13歳当時、地元のショッピングモールで買い物中にスカウトを受け、15歳時にモデル事務所「フォードモデルズ」主催「スーパーモデル・オブ・ザ・ワールド」のブラジル場所に出場、優勝を経てさらに世界決勝戦で準優勝。
1997年に米国・ニューヨークへ移りモデル事務所のエリート・モデル・マネジメントと契約、ファッションブランド「アナ・スイ」のショーが初仕事となった。
デビューの年となった1997年にさっそく「アンナ・モリナーリ」の広告の仕事とブラジル版マリ・クレール誌の表紙の仕事が舞い込み、「エマニュエル・ウンガロ」や「バルマン」のショーを歩くなどして着々と実績を重ねつつあった1999年頃、その経歴を通して最も著名な仕事相手となってゆく「ビクトリアズ・シークレット」との契約を獲得、ほどなくして同ブランドのショーやカタログなどへの登場を開始し、同ブランドの広告塔的なモデルにあたる「エンジェル」の一員となった。
ビクトリアズ・シークレットのブラジャーを手に(2010年) 「ラルフ・ローレン」、「ヴェラ・ウォン」、「エンポリオ・アルマーニ」、「フェンディ」、ならびに「ヴァレンティノ」などのブランドのショーを歩いていた2000年頃、ファッションブランド「ゲス」の広告塔へ。
それからというもの「ビクトリアズ・シークレット」の仕事以外にも、2003年における「メイベリン」との化粧品契約、ならびに2005年におけるイタリアの巨大携帯電話企業「イタリアテレコム」との広告塔契約などが注目を集めた。
「メイベリン」においてはスポークスパーソンに就任し、それから2009年に至るまで広報活動を継続してゆくこととなる。
「イタリアテレコム」関連では“イタリアのキャサリン・ゼタ=ジョーンズ”として知名度が上昇するに至った。
「ビクトリアズ・シークレット」絡みでは、2004年、“エンジェルズ・アクロス・アメリカ”と題されたこのブランドの大規模なツアーにタイラ・バンクス、ハイジ・クラム、ジゼル・ブンチェン、およびアレッサンドラ・アンブロジオの4名とともに参加、全米を巡業することとなった。
2005年は米誌『フォーブス』の調査による「世界で最も稼ぐモデル」の一覧に初登場した年でもあった。
それからというものこの一覧の常連となり、さらに2007年には雑誌『ピープル』の企画「世界で最も美しい100名」の特集に登場。
2008年に出演した米国の国民的スポーツイベントにあたるNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」のテレビコマーシャルは1億人以上に視聴されることとなった(のち2012年には公式モデルに起用)。
仕事を続けながらの結婚、妊娠、出産を経て、2009年には「ジバンシー」の広告塔へ。
以後も『ヴォーグ』や『エル』の世界各国版や様々なハイファッションブランドの広告に登場し、2012年からは「ダナ・キャラン」の広告塔ともなった。
第二子の出産があったこの年には、タイヤメーカー「ピレリ」の翌年度版カレンダーへの同史上初の妊婦としての登場が話題となる。
さらにその出産からわずか8週間でのランウェイ現場への復帰が注目を集める次第ともなった。
マリサ・ミラー(中)ならびにセリタ・エバンクス(右)とともにビクトリアズ…

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