河田直也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=202007 / CC BY SA 3.0
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#スポーツアナウンサー
#立命館大学出身の人物
#神戸市出身の人物
#1974年生
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河田 直也(かわた なおや、1974年4月23日 – )は、毎日放送(MBS)所属のアナウンサーである。
同局のアナウンサー室では、主事(係長級)などの役職を経て、2021年の時点でアナウンス部次長を務めている。
兵庫県神戸市の出身で、血液型はB型。
カナダ・ケベック州のインターナショナルスクールを経て、立命館大学政策科学部へ進学。
大学時代には一時、ラグビーの同好会に所属していた。
大学卒業後の1999年に、松川浩子と共に、アナウンサーとして毎日放送へ入社した。
元々は、テレビ局でスポーツに関する仕事に携わることを志望。
必ずしもアナウンサーにこだわっていなかったため、学生時代にアナウンス技術を一切学んでいなかったが、アナウンサー志望の知人からの手ほどきを受けながらアナウンサー試験に挑戦したという。
ちなみに、毎日放送の前には、日本テレビとテレビ朝日のアナウンサー試験を受験。
日本テレビの試験でカメラテストにまで残ったことから、地元局である毎日放送と朝日放送(当時)のアナウンサー試験も受けたところ、スポーツ実況要員として毎日放送に採用された。
入社後の研修責任者は平松邦夫で、毎日放送のアナウンサー試験で同席していた石井亮次(当時は平松の母校・同志社大学の学生)とは、石井がアナウンサーとして中部日本放送(現在のCBCテレビ)へ入社してからも親交が深い。
もっとも実際には、スポーツアナウンサーとしての活動期間は短く、テレビの情報番組(『ちちんぷいぷい』『知っとこ!』など)を中心に出演。
一時は、ラジオパーソナリティとしても活動していた。
2010年10月から『ちちんぷいぷい』で毎週木曜日(2020年度のみ毎週金曜日)に放送している紀行ロケ企画「昔の人は偉かった」では、週1回のロケで同年代のくっすんとともに1日10km以上の道程を歩きながら、「歴史ポイント」(ロケ中に訪れる名所旧跡・神社仏閣)の解説、(ロケ中に脚の痛みや疲労を訴えがちな)くっすんのフォロー、スタジオでのコーナー進行・ロケ報告などの役割を担っていた。
母親は宝塚歌劇団卒業生の華かおり。
2007年10月13日には、『ちちんぷいぷい』のディレクターと結婚。
いずれも、同番組で『世界一周』への出発の模様を中継した際に、関西国際空港からの生中継に登場している。
2012年5月には、第1子(男児)を授かったことを同番組で公表した。
また、一時は大月勇(後にラジオ営業部を経てラジオ制作センター)、大八木友之(後に報道局を経てJNNパリ支局長)、後輩アナウンサーの山中真らと社内でフットサル部に所属。
長らく『ちちんぷいぷい』で共演していた先輩アナウンサー・西靖とは、ウクレレ部に所属している。
ちなみに、『ちちんぷいぷい』などの番組で共演する機会が多い山中と同じく、番組へ登場する際には「アナウンサーの河田直也です」と紹介することが多い。
毎日放送の海外研修で山中がインドへ滞在した2011年1月〜3月中旬には、山中のレギュラー番組を事実上引き継いでいた。
また、2010年4月からは、MBSラジオで『河田直也&桜井一枝のうきうき土曜リクエスト』(『西靖&桜井一枝のわくわく土曜リクエスト』の後継番組)のパーソナリティを担当。
西と同じく、7年間にわたって桜井の相手役を務めた。
その一方で、スポーツ担当を離れてからも、『みんなの甲子園』や全国高校ラグビー大会のダイジェスト番組でキャスターを歴任。
2012年4月からは『ちちんぷいぷい』内の部署である「ちちんぷいぷい運動部」の副キャプテンに任命されると、2013年4月から2014年10月までは、『カワスポ』(MBSテレビのスポーツ情報番組)のメインキャスターを務めた。
さらに、毎日放送が出資した映画『あしたのジョー』(2011年版)には、ボクシングの実況アナウンサー役で出演。
ちなみに、『あしたのジョー』の実況シーンでは、休日だったにもかかわらず撮影に立ち会っていた香川照之(丹下段平役で出演)からボクシング通ならではのアドバイスを直々に受けている。
2014年4月以降の『ちちんぷいぷい』では、「昔の人は偉かった」への出演を続けながら、金曜日で西と共にパーソナリティ(総合司会)を担当。
2016年4月からは、金曜日に単独でパーソナリティを務めていた。
長期留学を経験していたこともあって、英会話が堪能。
自身の出演番組では、映画宣伝で来日した海外の俳優・…
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