ジパングあさ6, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=153139 / CC BY SA 3.0

#1992年のテレビ番組_(日本)
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#ズームイン!!
ジパングあさ6(ジパングあさろく)は日本テレビ系列で放送されていた平日の朝の情報番組である。
1992年3月30日から2001年9月28日まで5:59:30 – 7:00(6:59:59)に放送された(2000年10月以降の末期は5:59丁度に開始)。
放送期間は9年半で、結果的に後番組の『ズームイン!!SUPER』と同じ期間となった。
前身は『ルンルンあさ6生情報』。
当初こそ関東ローカルであったものの、年々ネット局数が増えていき、番組内容を抜本的に見直す必要が出てきた。
そこで『ルンルン』の後枠で放送された平日の『NNN朝のニュース』を吸収し、「全国ネット向けの内容に刷新」して開始。
このためネットワークニュース枠も『NNNニュースジパング』と改題された(後述)。
初代司会には関谷亜矢子と永井美奈子の同期入社のアナウンサー二人、新聞解説には『読売新聞あすの朝刊』や『ルンルンあさ6』などで既にテレビ出演していた中村慶一郎が抜擢された。
その後も司会は日本テレビの若手女性アナウンサーが代々務め、その他のコーナーキャスターも同局アナウンサーやフリーキャスター・リポーターが中心となった。
視聴率は早朝番組としては異例の14%台も記録。
開始時刻を早めた(いわゆるフライングスタート)理由は、6:00:00丁度にニュースを読み出したいためで、他局で同時刻に始まる同種の番組にチャンネルを変えさせない意図があったとされる。
初期の番組オープニングも6時丁度に目覚まし時計が鳴る演出がされていた。
番組の後期には、占いキャラクター(グッディー&バッディー)が登場。
占いのコーナーなどに使われた。
9年にわたり概ね好評であり、番組開始翌年の1993年以降の日本テレビ視聴率3冠王達成の起爆剤の1つにもなった当番組であったが、視聴率は裏番組の『やじうまワイド』(テレビ朝日)、『めざましテレビ』(フジテレビ)の上昇もあり末期は低下傾向にあった。
そうしたことから、後枠の『ズームイン!!朝!』とともに、当時の土屋敏男編成局長指示の下、2001年秋の日本テレビ朝帯大改編に伴い、同年9月28日をもって惜しまれつつも終了となった。
同年10月1日からは、後継番組として『ズームイン!! – 』を当番組と『あさ天5』を吸収合併する形で枠大リニューアルさせた『ズームイン!!SUPER』(番組開始時の放送時間は5:30 – 8:30)を開始した。
オープニングテーマ曲の作曲は宮川泰。
このうち初代のテーマ曲(1992年 – 1998年)が、約15秒という短さながらCD『宮川泰テレビテーマ・ワールド』(日本コロムビア、2018年8月29日発売)に収録されている。
メインキャスターは一週間を2人が半分ずつ担当。
コーナーの多くを自局のアナウンサーが担当していた。
中村と橋本は解説コーナー「ここがポイント」だけでなく一般紙朝刊紹介も務め、本編のほぼ全体にわたって登場していたが、久保潔就任後は原則として「ここがポイント」専任となった。
その後暫く、一般紙朝刊紹介はスポーツ担当アナウンサーが務めることが多かったが、2001年4月以降は報道局の呉文彦が「政治キャスター」の肩書きで朝刊紹介を務めていた。
主に駆け出しの女性アナウンサーが担当していたが、一時は寺島淳司、長谷川憲司といった男性アナウンサーが担当していたこともあった。
また、藤井と矢島は「○○生活研究室」と兼務していた。
◎は後にメインキャスターに就任したアナウンサー。
ちなみに柴田倫世の担当最終日は、松坂大輔との交際が週刊誌およびスポーツ紙で報じられたその日であった(後に結婚)。
基本的にスポーツ実況担当の男性アナウンサーが歴任していたが、初期には報知新聞社の柏英樹記者(当時)もキャスターを務めていた。
「○○」の中には担当アナウンサーの苗字が入る。
番組末期には6時台前半にもスポーツ紙の紹介コーナーが新設された。
主に若手の男性アナウンサーが担当。
後期はあさ天5の新聞紹介コーナーも兼務している。
特集コーナー「アングル」や曜日コーナーなどを担当。
こちらはフリーのキャスターおよびリポーターが担当していた。
△や▲の系列局でも年末年始のみ○になる系列局もあった。

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