安藤優子, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=363364 / CC BY SA 3.0

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#東京都立日比谷高等学校出身の人物
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安藤 優子(あんどう ゆうこ、1958年11月19日 – )は、日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。
ウェーブ産経代表幹事。
テイクシンク所属。
千葉県市川市出身。
身長164.5cm、血液型はA型。
市川市立八幡小学校、千代田区立九段中学校卒業。
1974年、東京都立日比谷高等学校に入学。
高校在学中、交換留学生としてアメリカ合衆国ミシガン州ハートランド高校へ留学。
私立オークランド・カレッジを経て帰国し、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。
大学在学中はホテルウーマンを目指しており、再び留学してホテルマネジメント学を学ぶ費用捻出のため、渋谷のパルコでエレベーターガールのアルバイトをしていた。
そこで外国人客と堪能な英語で話をしていたところを、テレビ朝日のプロデューサーにスカウトされて報道に携わることとなり、1980年に同局の『BIG NEWS SHOW いま世界は』でデビュー。
その後『TVスクープ』『ニュースステーション』『CNNデイウォッチ』などでリポーター、キャスターを務め、民放連賞、フィリピン政変のリポートでギャラクシー賞個人奨励賞を受賞する。
大学を休学し仕事を続けた。
これと前後して、TBS系『全日本F2選手権』のピットリポーターも務めており、その関係から映画『F2グランプリ』(1984年、東宝)に本人役で出演している。
当時コンビを組んでいたのが今宮純で、安藤が1994年のF1パシフィックGPにゲスト出演した際、コンビ復活となった。
『ニュースステーション』降板後はテレビ出演を止め、28歳の時に大学へ復学したが、今度はフジテレビから声を掛けられ、1987年10月から『FNNスーパータイム』に出演。
仕事と勉学を両立させ、1988年春に上智大学を卒業。
1991年の湾岸戦争では、日本人ジャーナリスト唯一となる現場取材を行った。
1993年、かつてコンビを組んだ同番組初代キャスター逸見政孝の葬儀をリポートし、生放送中に号泣した。
その後、1994年4月から2000年3月まで、深夜枠の『ニュースJAPAN』にてキャスターを務める。
2000年4月3日からは『FNNスーパーニュース』のメインキャスターを務める。
安藤が『スーパータイム』から『ニュースJAPAN』に移った1990年代半ばから苦戦していたフジテレビの夕方ニュース枠は、安藤の復帰から2年後、6年ぶりに視聴率1位に返り咲くことに成功した。
安藤はインタビューで「報道は気取りがある」「見ている方に通じないのであれば完全な送り手のマスターベーションでしかない」、 2013年12月2日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ)の番組内で「ニュースに優劣はないので何やっても良いと思う。硬派なことだけやればいいという考えは上から目線すぎないか」と発言する等、報道番組のワイドショー化を肯定する発言をしている。
また、2000年代頃からはメインキャスターを務める兼ね合いから取材現場に出向くことが極端に少なくなったが、安藤は自著などで「現場に行きたいが、自分が行ってしまった場合、東京のスタジオでニュースをさばく人がいなくなってしまうので、行かせてもらえない」との趣旨の発言をしている。
ハーバード大学大学院(ケネディスクール)の入学試験に合格したものの、フジテレビから約2年の休暇許可をもらえなかったため、2005年4月に上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科グローバル社会専攻(博士前期課程)へ入学し、2008年3月修了。
2013年9月、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科グローバル社会専攻(博士後期課程)単位取得満期退学。
博士論文を書き、博士号取得を目指した。
2015年3月27日で『スーパーニュース』が終了したことに伴って、翌週(30日)から『直撃LIVE グッディ!』(平日午後の情報番組)の総合司会を高橋克実(俳優)と共に担当。
しかし、『グッディ!』が2020年9月25日放送分で終了したことに伴って、本人曰く「40年にわたる報道生活」と生放送番組を「卒業する」に至った。
なお、『グッディ!』の終了直後(同年9月30日)には、個人事務所であった有限会社エイアンドアソシエイツの解散を決議したことが官報に公告されている。
※これ以外にも、1990年以降のフジテレビ系列の報道特別番組(選挙特別番組を含む)には多数出演。
逸見政孝…

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