@落語 #perfume #活動休止#オダギリジョー「音漏れ参拝」「犬の映画試写会」
「音漏れ参拝」
おあとがよろしいようで…って、まだ始まってねえや。
どうもどうも。最近の世の中、神社仏閣より行列できるのは、アイドルのラストライブ。Perfumeだってさ、今年で活動休止、東京ドームが最後の舞台。これがまたすごい熱気でね。中に入れりゃまだしも、入れなかった連中まで外に集まって「音漏れ」に耳を澄ます。…音漏れだよ? おまえら耳がカビ生えんぞ。
で、ファンの方々が「ポリリズムから推してました」と胸張ってんだ。そりゃ立派だけどさ、俺からすりゃ「ポリリズム」っつったら電気代の請求書みたいなもんだよ。「ピーク時はこれぐらい、リズムに乗って節電しよう」ってな。
でもまあ、彼女らもよくやったよ。三人でずっと揃って、しかも「解散じゃない、休止だ」って。休止ってのがまたいいじゃないか。「休止」って、夫婦喧嘩の「別居」と同じだからな。解散は離婚だが、休止は「実家に帰らせていただきます」だよ。で、実家に帰ったまま帰ってこないのを俺ぁ何組も見てきたけどね。
でね、その会場に集まったファンの60代のおじさんが「解散じゃなくてよかった」って。おじさん、あんたの髪の毛の方がすでに解散してんだよ。残った三本でPerfumeやったって、ポリリズムにならんだろ。
あとは30代の女性が、翌日のチケット持ってるのに、わざわざ前日から来て音漏れ聞いてんだって。あんた欲張りだな。寿司屋で明日コース予約してるのに、今日カウンターの隙間からマグロの匂い嗅いでるようなもんだろ。
でもな、この「推しは推せるうちに推せ」ってのが効いたんだよ。あ~ちゃんが言ったらしいな。いや名言だよ。だって推し活ってのは人生の縮図だ。「親孝行はできるうちにしろ」と同じ。「消費税は上がる前に買え」とも同じ。結局人間ってのは、後で後悔するようにできてんだ。
ところがさ、俺が言いたいのは、なんでこの国の人間は「音漏れ」にまで群がるのかって話だよ。ほら昔、オリンピックの聖火リレーもそうだろ? 通り過ぎる3秒のために二時間並んで「見た!」って満足する。Perfumeも同じだ。中に入れない、チケット取れない、それでも「音だけ浴びて、俺も歴史の証人」って気分になりたいわけ。…まあ人間の性(さが)ってやつだな。
ただな、俺ぁ思うんだ。こうして「音漏れ参拝」してる奴らの姿、上から見たら、宗教の集団儀式と変わらねえんだよ。ドームが本殿、メンバーは巫女、ファンは参拝客。ご利益は「明日も会社頑張れる」。だから日本人は新興宗教に弱いってんだよ。だってすでに推し宗教に入信済みなんだから。
で、グッズだよ。外で買ったTシャツ掲げて「俺は参加した!」って顔してるけど、中入ってねえだろ。あれだ、通販でランドセルだけ買って「小学校通ってます!」って言ってるようなもんだよ。
だけど笑っちゃいけない。俺だって昔、談志イズム推してた頃、寄席の外で音漏れ聞いてたやつらいたんだ。そいつら後で言うんだよ。「俺、談志を生で聴いた」って。いや聴いてねえよ、換気扇経由だよ。
結局さ、この国の文化ってのは「本物」より「雰囲気」で満足するようにできてんだ。寿司は写真で、旅行はインスタで、ライブは音漏れで。「現場至上主義」って言ってる割に、現場に入れなくてもいいんだよ。なんとなく空気吸えれば、心が埋まる。
Perfumeの三人もそれを分かってんだ。だから「解散」じゃなくて「休止」。ファンの心に「まだ続きがある」って幻想を残す。これが最高の演出だよ。落語で言や、サゲを言わずに終わるようなもんだ。「続きはお前の頭ん中で補え」って。
──だからあたしゃ思うんだ。Perfume休止の真相? それはね、ファンにとって一番幸せな「余韻」ってやつを残してくれたってことさ。あとは各自、音漏れでも想像でも勝手に補ってくれ。
もっとも、俺が心配なのは……これからPerfumeの休止中に「音漏れカフェ」みたいな商売が出てくるんじゃないかってことだな。ドリンク800円でスピーカーから微妙にこもった音楽。みんな涙流して「生だ…!」って言うんだ。…日本人の商魂ってのは恐ろしいねえ。
おあとがよろしいようで。

2幕目

「犬の映画試写会」
いやいやいや、世の中ってのは油断ならねぇもんでしてね。ちょっと目を離すと、もう人間が何やってるんだかわかんなくなる。
聞きました? オダギリジョーが映画作って、試写会に犬を50匹呼んだってんだよ。
……え、冗談じゃねぇの?って思うだろ。ところがそうじゃねぇ。犬が50匹、チワワからゴールデンまでズラリ揃って、ちゃんと観客扱いされてる。
これがさ、人間だったら「上映中のスマホ電源オフでお願いしまーす」ってアナウンスあるだろ。犬の場合はなんだろうね、「上映中は不要なマーキングはご遠慮ください」だよ。ポップコーンじゃなくてドッグフード売ってんの。「ただいまチーズ味は売り切れでーす」なんて。…いや、誰が買うんだよ。
で、オダギリジョーが言うには「主演は犬ですから」。犬が主演ってのはわかるよ、警察犬オリバーが主役なんだろ? けどそのオリバーを演じてんのはオダギリ本人で、しかも犬の着ぐるみ着たオッサンだってんだから、これはもう主演は犬じゃなくて、犬のフリしたオダギリなんだよ。
犬が犬演じるより、人間が犬演じる方がリアルってどういう理屈だ? これもう、映画ってより哲学。いや、新興宗教だな。
しかしねぇ、「犬が観る試写会」って言うけど、犬が映画観てどうすんの? 犬が「おい、このカット割り甘いな」とか「三幕構成が弱い」とか言うわけねぇんだよ。せいぜい「ワン」だ。字幕が出る。「(この編集はタルい)」って。笑っちゃうね。
下手すりゃ隣のゴールデンが感動して泣くんだよ。「ワオーン!」って。隣のポメラニアンが「おい泣きすぎだよ」ってツッコむ。気が散ってしょうがねぇ。
オダギリも「飽きたら出てっていいです」って言ってたらしいけどさ、犬に飽きたかどうか聞いてわかるのか? 犬がスクリーンの前でケツかきだしたら「はい飽きた!」ってスタッフが誘導すんのか?
上映中にチワワがソワソワ歩き回って、「あのチワワさん、もう飽きたようなので退場でーす」。で、会場がドッと笑う。もう映画どころじゃねぇよ。
で、人間の観客の方が気を遣う。「あ、犬様がお座りになられた」「あ、犬様が静かに観賞されている」ってな。下手すりゃ犬の方がVIP待遇だよ。映画館の入口も「ワンちゃん専用通路はこちらでーす」って赤じゅうたん敷いてんの。人間は横の通用口から。逆だろうが。
考えてみりゃ、これは人間社会の縮図だな。犬が映画観てんじゃなくて、人間が「犬に観せてますよ」って悦に入ってんのよ。ほんとは犬なんかどうでもいいんだ。オダギリが笑顔で「犬に感想聞けませんけどね」って言ってる、それを人間が「すごい!新しい文化だ!」って拍手してんの。
これ、もう立派な虚構商売。いや、虚構どころか、ペットビジネスと芸能ビジネスの融合だ。資本主義がここまで来たかって話だな。
思い出すよ。昔は「子供は黙ってなさい」って言って映画見せたもんだ。それが今じゃ「犬は鳴いていいです」だ。人間が犬に合わせてんだよ。次は何だ? 猫専用試写会? 上映中にスクリーンに猫じゃらし振って、「はい、みんな目線そろったね」って。
その次はインコ試写会。「ポリポリ!」って喋ったら、場内から「今のはアドリブです」なんて解説入る。バカバカしいけど、そうやって金取れるんだからやるだろうな。
で、映画の内容。これがまたクセが強い。池松壮亮だけが犬をオッサンに見えるって設定。これ普通ならホラーだよ。「なんで犬がオッサンに?」ってパニック映画。けどオダギリはそれをコメディにしちゃう。
これがまた日本人っぽいんだよなぁ。ホラーでもなく、完全コメディでもなく、「ちょっと変」ってところで止めとく。笑うに笑えねぇ、怖がるに怖がれねぇ。結果「これすごい作品だ」って言い張る。日本映画の得意技よ。
けど、犬にそれ見せてどうすんだよ。犬からしたら「おい、なんで犬がオッサンに?」じゃなくて、「おい、なんでオッサンが犬のフリしてんだ?」だよ。犬が人間演じる方が自然だろうに。
これがわからんところが、人間の病だな。犬の芝居を信用せず、人間が被り物して「犬です」って言う方がリアルに思える。まるで政治家の演説だ。「庶民の味方です」ってスーツ着たオッサンが叫んでる。犬に比べりゃよっぽど不自然よ。
まぁでも、オダギリはそれを笑顔でやってんだ。犬の前で「今日はありがとう」って頭下げてさ。犬は知らん顔。観客だけが「素敵!」って盛り上がってる。これが芸能ってやつの本質かもしれねぇ。観られてる対象は犬じゃない。オダギリを見てるんだよ。犬は飾り。
だから結局、犬試写会ってのは、人間の「犬かわいい」欲望の延長線。映画なんかどうでもよくて、「犬に映画を見せた」って話が商品なんだな。記事になりゃ広告になる。犬は観客じゃなくて媒体よ。
──ね、談志ならこう言うね。
「人間ってのは犬に見せかけて犬をバカにしてるんだ。犬が映画観るわけねぇんだから。だけどそれをありがたがってる人間が一番犬っころだ」ってな。
え? じゃああたしは? あたしはね、この噺をやってる犬だよ。ワンワン。

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